東閉伊郡(読み)ひがしへいぐん

日本歴史地名大系 「東閉伊郡」の解説

東閉伊郡
ひがしへいぐん

明治一二年(一八七九)閉伊郡を東西南北および中に分け成立。宮古郡役所が置かれた。同一五年の調べによると、村数四一、戸数六千八九九・人口三万四千七二八(地方沿革略譜)。同二二年の市制町村制施行により宮古町鍬ヶ崎くわがさき(現宮古市)山田やまだ(現下閉伊郡山田町)および崎山さきやま(現宮古市)など一四ヵ村が成立。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

新暦の 4月後半から 5月の,梅雨前に日本列島が大きな移動性高気圧に覆われたときの晴天。発現期間は短い。もともとは旧暦 5月が梅雨にあたることから,梅雨の晴れ間の意味で,梅雨晴れ(つゆばれ)とも呼ばれ...

五月晴れの用語解説を読む