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陸奥国 むつのくに

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

陸奥国
むつのくに

現在の福島県,宮城県,岩手県,青森県。東山道の一国。大国。「みちのく」と称され,蝦夷の地であったところへ大和朝廷が次第に支配を拡大し,大化改新の詔 (646) で一国となったが,時代によりその領域は北上していった。

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デジタル大辞泉の解説

みち‐の‐くに【陸奥国】

みちのく」に同じ。
「むかし、男、―にすずろに行きいたりにけり」〈伊勢・一四〉

むつ‐の‐くに【陸奥国】

陸奥

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百科事典マイペディアの解説

陸奥国【むつのくに】

旧国名。奥州とも。東山道の一国。現在の福島・宮城・岩手・青森4県を含む東北地方太平洋側。古くは蝦夷(えみし)が住む。奈良前期に多賀城,平安初期に胆沢(いさわ)城を拠点として開拓。
→関連項目青森[県]伊治城磐城平藩磐城国岩代国岩手[県]蝦夷地奥羽高用名三陸海岸白河関棚倉藩津軽東北地方福島[県]福島藩骨寺村陸奥宮城[県]陸奥将軍府陸奥国留守職桃生城好島荘陸前国陸中国

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藩名・旧国名がわかる事典の解説

むつのくに【陸奥国】

現在の福島県宮城県岩手県青森県の全域と秋田県の一部を占めた旧国名。古くは蝦夷(えみし)の地で、大化(たいか)の改新後に整備され、国府多賀(たが)城においた。律令(りつりょう)制下では東山道に属す。「延喜式」(三代格式)での格は大国(たいこく)で、京からは遠国(おんごく)とされた。国府の多賀城は現在の宮城県多賀城市、国分寺は仙台市若林区木ノ下(きのした)におかれていた。平安時代初期には蝦夷の抵抗も一応鎮定され、俘囚(ふしゅう)の末裔(まつえい)の安倍(あべ)氏清原(きよはら)氏が勢力をもったが、のちに奥州藤原(おうしゅうふじわら)氏平泉を中心に独特の文化を展開した。鎌倉時代には奥州総奉行がおかれ、建武新政(けんむのしんせい)下では北畠顕家(きたばたけあきいえ)が義良(のりよし)親王(後村上(ごむらかみ)天皇)を奉じて陸奥将軍府を設置、室町幕府奥州探題と対立した。戦国時代には伊達(だて)氏、蘆名(あしな)氏、葛西(かさい)氏、大崎氏、南部氏らが勢力を競い、江戸時代には大小の藩が成立、盛岡藩仙台藩会津(あいづ)などが幕末まで存続した。幕末維新期には、会津藩を中心に奥羽越(おううえつ)列藩同盟を結んだが、新政府軍に敗れた。1868年(明治1)12月、明治政府は陸奥国を陸奥国(岩手県北西部と青森県)、陸前(りくぜん)国(宮城県中・北部と岩手県南東部)、陸中(りくちゅう)国(岩手県の大部分と秋田県北東部)、岩代(いわしろ)国(福島県中・西部))、磐城(いわき)国(福島県東部と宮城県南部)の5ヵ国に分けた。ついで1871年(明治4)の廃藩置県後に現在の福島県、宮城県、岩手県、青森県の4県に整理された。◇奥州(おうしゅう)ともいう。

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世界大百科事典 第2版の解説

むつのくに【陸奥国】

旧国名。奥州。現在の福島県,宮城県,岩手県,青森県の全域と秋田県の一部。
【古代】
 東山道に属する大国(《延喜式》)。《延喜式》の規定では35郡を管し,国府は多賀城(現,宮城県多賀城市)にあった。その設置は他の諸国と同様,大化改新(645)後あまり時を経ない時期と思われるが,当時は〈道奥国(みちのおくのくに)〉と記し,読まれた。この〈道奥国〉という命名は他の諸国の国名とは趣を異にし,東海・東山2道の奥すなわち最末端に位置する国という意味である。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

陸奥国
むつのくに

旧国名。現在の福島、宮城、岩手、青森の各県と秋田県の一部にあたる。『日本書紀』斉明(さいめい)元年(655)条に「道奥」とみえ、東海・東山両道の奥という意味で「みちのおく」と読まれた。のちに読み方は「みちのくのくに」「みちのくに」などを経て、9世紀末ごろ「むつのくに」が成立した。天武(てんむ)5年(676)条にはすでに「陸奥」と表記され、畿内(きない)、長門(ながと)とともに高位者が国司として任命されたが、辺境防備のために重視されたものとみられる。712年(和銅5)出羽(でわ)国の設置に伴い最上(もがみ)、置賜(おきたみ)両郡を割き、また718年(養老2)石城(いわき)、石背(いわしろ)両国の設置により、現在の福島県と宮城県の一部にあたる地域を割いたが、数年足らずで陸奥国に復旧した。719年全国に設置された按察使(あぜち)では、陸奥按察使が置かれ、出羽国も所管し、他が廃止されたあとも、陸奥、出羽だけは残された。律令(りつりょう)制では、北辺に接する軍事的意味が重視されて、戸令の現住に従って本貫を定めるとか、軍防令の帳内(ちょうない)・資人(しじん)の任用を禁じた、いわば例外的規定の対象となった。『延喜式(えんぎしき)』では、東山道に属する大国で、白河(しらかわ)、菊多(きくた)、磐城(いわき)、標葉(しねは)、行方(なめかた)、宇多(うだ)、亘理(わたり)、伊具(いぐ)、刈田(かりた)、会津(あいづ)、耶麻(やま)、磐瀬(いわせ)、安積(あさか)、安達(あだち)、信夫(しのぶ)、柴田(しばた)、名取(なとり)、宮城(みやぎ)、黒川(くろかわ)、賀美(かみ)、色麻(しかま)、玉造(たまつくり)、栗原(くりはら)、新田(にゅうた)、長岡(ながおか)、遠田(とおた)、小田(おだ)、志太(しだ)、桃生(もものう)、牡鹿(おしか)、登米(とよね)、気仙(けせん)、磐井(いわい)、江刺(えさし)、胆沢(いさわ)の35郡を管轄し、国府は多賀城(たがじょう)、現在の宮城県多賀城市に置かれていた。『和名抄(わみょうしょう)』には、大沼郡が加わり、36郡を管したとみえる。
 律令政府の蝦夷(えぞ)支配の前線基地となった陸奥では、反乱と鎮圧が繰り返され、797年(延暦16)の坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)、811年(弘仁2)の文室綿麻呂(ふんやのわたまろ)をそれぞれ征夷(せいい)大将軍に任命して行った鎮圧が、胆沢(いさわ)城、志波(しわ)城を築くなど効果をあげ、支配も拡大した。しかし、律令国家の衰退とともに弛緩(しかん)し、平安時代中期以降、在地勢力を形成した安倍(あべ)・清原両氏らが支配の実権を握り、安倍氏が前九年の役で、また清原氏が後三年の役で滅亡すると、平泉(ひらいずみ)を根拠地とする藤原清衡(きよひら)の支配が確立し、その子基衡(もとひら)、孫秀衡(ひでひら)の3代にわたる奥州藤原氏の政治と独自な地方文化が展開した。1189年(文治5)全国に支配を拡大しつつあった源頼朝(よりとも)は、弟義経(よしつね)の追捕(ついぶ)を機会に、これをかくまった奥州藤原氏を征討し、奥州総奉行(そうぶぎょう)を置いた。このとき任ぜられた伊沢家景(いえかげ)は、陸奥国留守職(るすしき)とも称し、のち伊沢氏がこの職を世襲した。建武(けんむ)新政(1334)では、陸奥将軍府を設置し、北畠顕家(きたばたけあきいえ)が皇子義良(のりよし)親王(後村上(ごむらかみ)天皇)を奉じて赴任した。ついで室町幕府は奥州探題を設置、奥州管領(かんれい)として足利(あしかが)氏一門の石塔義房(いしどうよしふさ)を派遣し統治したが、のちに吉良(きら)、畠山、斯波(しば)の諸氏が加わり混乱、奥州管領も廃止され、陸奥国は鎌倉府の管轄となった。その後、大崎五郡を根拠とする大崎氏が支配権をもち、戦国時代に入ると、伊達(だて)、蘆名(あしな)、葛西(かさい)、大崎、南部の諸氏が割拠、抗争し、豊臣(とよとみ)秀吉の奥州仕置(しおき)では、津軽、南部、伊達、相馬(そうま)、岩城の諸氏がそれぞれ所領を封ぜられ、蒲生(がもう)氏が会津へ入部した。
 江戸時代には、津軽郡の黒石藩・弘前(ひろさき)藩、岩手郡の盛岡藩、宮城郡の仙台藩、白河郡の白河藩、白川郡の棚倉(たなぐら)藩、磐城郡の磐城平(たいら)藩、会津郡の会津藩、信夫(しのぶ)郡の福島藩などが置かれ、産業と交通も飛躍的に発展した。幕末・維新期に、諸藩は、奥羽越(おううえつ)列藩同盟を結んで、明治新政府に抵抗したが、会津戦争に敗れ、崩壊した。新政府は、1868年(明治1)12月7日付けの太政官(だじょうかん)布告によって、陸奥国を磐城、岩代(いわしろ)、陸前、陸中、陸奥の5国に分割、分割後の陸奥国は現在の青森県と岩手県の一部にあたり、二戸(にのへ)、三戸、北、津軽の4郡からなり、1871年の廃藩置県を迎えた。
 産業は、古来、砂金と馬が著名であり、近世には材木、俵物(たわらもの)、米、蚕種、生糸、鉄、銅などの産物が移出されることが多かった。[菊池克美]

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