東阿野村(読み)ひがしあのむら

日本歴史地名大系 「東阿野村」の解説

東阿野村
ひがしあのむら

[現在地名]豊明市阿野あの

東西一六町余・南北八町余である。東方に境川が南流して三河に隣接し、村の中央部を東海道が北西に貫通。阿野一里塚(国指定史跡)を過ぎると枝郷の坂部さかべがあり、五軒屋ごけんや新田の町並に続く。「尾張国地名考」は、阿野は「青野なるべし」といい、肥沃な土地を意味する。「家忠日記」天正一二年(一五八四)三月九日条に「あの迄着陣候」とある。

多くの田は境川沿いにあり、琵琶びわヶ池が重要な用水源であった。元来、悪水は境川に流れていた。しかし年ごとに川底が高くなるに及び、郷西を流れる庄土しようど(正戸川・西川)の下に水筒(証文杁)を伏せ流し(正徳五年)、他村の田畑をつぶしたため、横根よこね村・北尾きたお村・近崎ちがさき(現大府市)大脇おおわき村の四ヵ村に井領米一九石余を出した(徇行記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android