松井太久郎(読み)マツイ タクロウ

20世紀日本人名事典 「松井太久郎」の解説

松井 太久郎
マツイ タクロウ

大正・昭和期の陸軍中将



生年
明治20(1887)年12月3日

没年
昭和44(1969)年6月10日

出生地
福岡県

学歴〔年〕
陸士(第22期)〔明治43年〕卒,陸大〔大正6年〕卒

経歴
大正7年第12師団に属しシベリア出征、8年参謀本部勤務となり、10年関東軍司令部付、11年ウラジオ派遣軍参謀、14年朝鮮軍参謀を歴任。昭和5年イギリス出張後、陸軍省新聞班に所属。6年関東軍参謀、7年近衛歩兵第2連隊付、8年大阪連隊区司令官、10年独立歩兵第12連隊長を経て、11年北平(現・北京)特務機関長となり、12年の蘆溝橋事件では停戦協定に調印した。同年張家口特務機関長、13年近衛歩兵第1旅団長、14年満州国軍最高顧問を歴任、15年中将に進み、第5師団長。太平洋戦争中は、17年汪政権軍事顧問、18年支那派遣軍総参謀長、20年第13軍(華中)司令官を務めた。敗戦後21年復員。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松井太久郎」の解説

松井太久郎 まつい-たくろう

1887-1969 明治-昭和時代前期の軍人
明治20年12月3日生まれ。関東軍参謀などをへて,昭和11年北平特務機関長となり,12年盧溝橋(ろこうきょう)事件の停戦協定に調印。のち満州国軍最高顧問となり,15年陸軍中将。太平洋戦争中は汪兆銘政権軍事顧問,第十三軍司令官などを歴任した。昭和44年6月10日死去。81歳。福岡県出身。陸軍大学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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