日本歴史地名大系 「松代藩鐘楼跡」の解説 松代藩鐘楼跡まつしろはんしようろうあと 長野県:長野市松代地区松代城下殿町・片羽町・厩町松代藩鐘楼跡[現在地名]長野市松代町殿町松代藩時代は「割番所(わりばんしよ)」とも称されていたが、城下に時を知らせる鐘楼でもあった。元和八年(一六二二)真田信之が入部するや、寛永元年(一六二四)これを建て、火の見櫓を兼ねた。「割番所」といわれるのは、常時足軽が詰めて鐘つきと火の番を務め、その日の仕事を足軽に割り付けるところでもあった。鐘楼は享保二年(一七一七)の関口火事、天明八年(一七八八)の河内屋火事、寛政一二年(一八〇〇)の市場火事などで類焼し、その度ごとに鐘は鋳直され、現在の鐘楼は文化三年(一八〇六)のものである。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報