天王山(読み)てんのうざん

故事成語を知る辞典「天王山」の解説

天王山

勝敗や運命の重大な分かれ目のたとえ。

[使用例] 年長の二字を加ふると否とは、一橋派、紀州派の天王山とも云うき、一大争点であったことは、既記の通りだ[徳富蘇峰*近世日本国民史 三八|1931]

[使用例] 沖縄は天王山であり、関ケ原である。あれはとられたが、ぜひとも奪還しなければならぬ、それほど沖縄は重要なのである[海野十三*海野十三敗戦日記|1945]

[由来] 「太閤記―三」に収める話から。天正一〇年(1582)、本能寺の変で織田信長が家臣の明智光秀に討たれると、同じく信長に仕えていた羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)は、主君の仇を討つべく、備中(現在の岡山県)の戦場から、急いで京都へと戻りました。そして、京都の南西、山崎という場所で、光秀軍と激突。当初、戦況は一進一退しますが、秀吉軍が天王山という山を占領したことをきっかけとして、戦いは秀吉軍の勝利に終わります。敗走した光秀は、途中で殺されてしまい、以後、天下は、亡き主君の仇を取ったという手柄を手にした秀吉を中心に動いていくことになりました。

[解説] ❶現在では、この「山崎の戦い」の実際の経過としては、天王山の占領はそれほど大きな意味を持たなかったと考えられています。なお、この合戦前後の物語からは、ほかにも「敵は本能寺にありという故事成語が生まれています。❷いわゆる「天下分け目の戦い」としては、「関ヶ原の戦い」の方が重要でしょう。しかし、故事成語としては「天王山」の方がはるかによく使われます。それはおそらく、家臣に裏切られて非業の死を遂げた主君を討つ、という秀吉の行動が、多くの人々に共感を持って語られたからなのでしょう。

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日本大百科全書(ニッポニカ)「天王山」の解説

天王山
てんのうざん

京都府南部、乙訓(おとくに)郡大山崎町にある山。京都盆地西側の西山山地の最南端をなす。標高270メートルにすぎないが、淀(よど)川を挟んで男山(おとこやま)と相対し、大阪平野から京都盆地への自然の関門をなしている。古来軍事上の要地で、1582年(天正10)には羽柴(はしば)(豊臣(とよとみ))秀吉と明智光秀(あけちみつひで)の間で山崎の戦いが行われた。交通の要路でJR東海道本線、新幹線、阪急電鉄京都線、国道171号が走り、名神高速道路は天王山トンネルで通過する。

[織田武雄]

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精選版 日本国語大辞典「天王山」の解説

てんのう‐ざん テンワウ‥【天王山】

[1] 京都府南部、大山崎町にある山。桂・宇治・木津川が合流する地点の淀川に臨み、男山に対する。山城盆地と大阪平野とを結ぶ狭隘(きょうあい)部にあり、天正一〇年(一五八二)ふもとで行なわれた山崎の合戦は有名。
[2] 〘名〙 (天正一〇年羽柴秀吉と明智光秀とが山崎で戦ったとき、(一)の占有が勝敗を左右したところから) 勝敗や運命の重大な分かれ目。
※風俗画報‐九二号(1895)澎湖島の占領「澎湖は是れ南洋を争ふ者の天王山(テンワウサン)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「天王山」の解説

天王山
てんのうざん

京都府南部,京都盆地の西に連なる西山山地の南端にある山。標高 270m。大山崎町に属する。古生層から成り,南に相対する男山との間は桂川宇治川木津川の3河川が合流する狭隘部で,古くから軍略上の要地。特に天正 10 (1582) 年豊臣秀吉がこの山に布陣し明智光秀を迎え撃った山崎の戦いは有名。名神高速道路トンネルで山の下を通る。山麓宝積寺,千利休の茶室 (→待庵 ) で知られる妙喜庵がある。

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百科事典マイペディア「天王山」の解説

天王山【てんのうざん】

京都盆地の西側,老ノ坂山地の南部にある山。標高270m。淀川をはさんで対岸の男山と相対し,京都盆地と大阪平野を結ぶ部分にあるため,古来戦略上,重要な位置を占めていた。特に1582年の山崎の戦が有名で,以後,勝敗を決する時の比喩(ひゆ)に用いられる。
→関連項目大山崎[町]大山崎離宮八幡宮

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世界大百科事典 第2版「天王山」の解説

てんのうざん【天王山】

京都府南部,乙訓(おとくに)郡大山崎町にある山。古生層からなり,標高270m。桂川,宇治川,木津川の3川が合流して淀川となる部分の北側に位置し,南側の男山と相対し,京都盆地の狭隘部を形成する。大阪府とのにあたり,淀川水運や山陽道をはじめ,古くからの水陸交通の重要地点であった。1582年(天正10)豊臣秀吉と明智光秀が戦った山崎の戦の際には,この山の占有が勝敗を決したといい,一般には天王山の戦とも称され,〈天王山〉は勝敗の分れ目を意味する語となった。

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世界大百科事典内の天王山の言及

【山崎の戦】より

…1582年(天正10)6月13日羽柴(豊臣)秀吉,織田信孝らが山城乙訓郡山崎付近で明智光秀を破った戦い。備中高松城を攻囲中に本能寺の変を知り直ちに毛利氏と講和,6日播磨姫路に帰った秀吉は,摂津の諸将を糾合して富田に着陣,信孝らの兵を合わせ,軍を山手,中手道筋,川手の三手に分け13日進撃し,一方これより前に山崎の天王山を占領させていた。光秀は11日下鳥羽に布陣したころに秀吉の進出を知り,細川,筒井氏を欠く劣勢のまま勝竜寺から淀城の間で迎撃しようとし,13日午後秀吉の軍と激突したが,川手の秀吉軍が優勢だったため敗退した。…

※「天王山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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