デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松本了一郎」の解説 松本了一郎 まつもと-りょういちろう 1822-1865 江戸時代後期の武士。文政5年生まれ。肥後(熊本県)人吉藩士。高島流砲術家で,西洋式の軍制導入を主張。山鹿流和風兵学派との対立がふかまり,藩主相良頼基(さがら-よりもと)の命をうけた新宮行蔵の一派によって,慶応元年9月26日殺された。44歳。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「松本了一郎」の解説 松本了一郎 没年:慶応1.9.26(1865.11.14) 生年:文政5(1822) 幕末の肥後人吉藩(熊本県)藩士。高島流砲術を学び,洋式での兵制改革を図る。尊王攘夷を主張する山鹿流和風兵学派からの,洋風派に対する一斉襲撃により殺害された。これにより斬殺された同志一党11名,その子4名,その妻1名,あわせて16名。 (井上勲) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by