松村瞭(読み)マツムラ リョウ

20世紀日本人名事典 「松村瞭」の解説

松村 瞭
マツムラ リョウ

大正・昭和期の人類学者 東京帝大助教授。



生年
明治13(1880)年8月1日

没年
昭和11(1936)年5月21日

学歴〔年〕
東京帝大理科大学選科〔明治36年〕卒

学位〔年〕
理学博士(東京帝大)〔大正13年〕

経歴
植物学者・松村任三長男に生まれる。明治36年東京帝大嘱託となり、人類学教室に勤務。大正14年助教授となり、人類学講座を担当する。傍ら、太平洋学術会議委員、学術研究会議太平洋学術調査委員、東京人類学会総務幹事を務めた。専門は体質人類学であったが、民族学・考古学にも造詣が深く、著書に「人種名彙」、主な研究報告に「琉球荻堂貝塚」「世界人類実観」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松村瞭」の解説

松村瞭 まつむら-りょう

1880-1936 大正-昭和時代前期の人類学者。
明治13年8月1日生まれ。松村任三(じんぞう)の長男。大正14年東京帝大助教授となる。東京人類学会総務幹事。昭和11年5月21日死去。57歳。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の松村瞭の言及

【荻堂貝塚】より

…沖縄本島の中央部,中頭(なかがみ)郡北中城(きたなかぐすく)村字荻道後原(くしばる)にあり,縄文後期に比定される。1919年,松村瞭が発掘調査を行った。遺跡は石灰岩丘陵の北面崖下に形成され,3層(表土,混貝土層,基盤の石灰岩)からなり,中位の包含層は70~100cmの層厚をもつ。…

※「松村瞭」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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