日本歴史地名大系 「松森別邸跡」の解説 松森別邸跡まつもりべつていあと 岩手県:水沢市水沢城下搦手小路松森別邸跡[現在地名]水沢市 搦手丁搦手(からめて)小路の中央北側にあった留守氏別邸跡。留守宗衡は安政三年(一八五六)、子邦命に家督を譲り雪斎と号し、夫人伊予子とともに当地の松森と称された所に別邸を設け隠退したが、のち隣家の氏家氏と屋敷を交換して移り、松森御殿と称された。伊予子は仙台藩岩(いわ)ヶ崎(さき)館(現宮城県栗原郡栗駒町)館主中村日向の女で、戊辰戦争後、胆沢(いさわ)県武田権知事の推奨をうけ立生(りゆうしよう)館を改めた水沢郷学校の教師となり、女子教育に功績があった。明治二年(一八六九)八月水沢城明渡しになり、最後の水沢城主邦寧は仙台に移居、水沢城跡始末のため元家臣平沢勝亮が松森邸家令として十ヵ年勤務、その間留守氏家譜を整理し、余目久右衛門・吉田種穂・村岡伊右衛門が相次いで家事取締に当たった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by