20世紀日本人名事典 「松浦寛威」の解説 松浦 寛威マツウラ カンイ 明治・大正期の陸軍中将 生年慶応2年11月28日(1867年) 没年昭和3(1928)年12月9日 出身地筑後国豊岡村(福岡県) 学歴〔年〕陸士〔明治21年〕卒 経歴明治21年陸軍歩兵少尉となり、日清戦争に従軍。のち陸軍士官学校教官、四川省成都府武備学堂総教習となり、日露戦争には安東県軍政長官、遼陽軍政長官、第3軍司令部付を務める。その後、熊本地方幼年学校校長、歩兵第70連隊長、陸軍中央幼年学校校長などを歴任して、大正4年歩兵第34旅団長、8年中将となり、9年シベリア出兵には第9師団長として出征した。弟の松浦淳六郎も陸軍中将。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松浦寛威」の解説 松浦寛威 まつうら-かんい 1867*-1928 明治-大正時代の軍人。慶応2年11月28日生まれ。日清(にっしん)・日露戦争に従軍。大正8年陸軍中将。9年シベリア出兵で第九師団長として出征。弟の松浦淳六郎も陸軍中将。昭和3年12月9日死去。63歳。筑後(ちくご)(福岡県)出身。陸軍士官学校卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by