日本歴史地名大系 「板井迫村」の解説 板井迫村いたいざこむら 大分県:大野郡朝地町板井迫村[現在地名]朝地町板井迫朝倉(あさくら)村の東、東流する平井(ひらい)川中流北岸にある。延応二年(一二四〇)四月六日尼深妙から詫磨能秀へ譲られた志賀(しが)村北方のうち板井迫名の遺称地で、弘安一一年(一二八八)四月二五日の詫磨寂尊譲状案(詫摩文書)に「いたいさこ」とみえる。慶長二年(一五九七)当地の志賀氏繁は岡藩中川氏に従って朝鮮に出陣、戦功を立てたという。同氏子孫は江戸時代には大庄屋を勤めた(朝地町史)。正保郷帳では一万田(いちまんだ)郷に属し、田高一八三石余・畑高一二一石余、茅山有と注記される。旧高旧領取調帳では高三八一石余。安永七年(一七七八)には板井迫組に属し、同組大庄屋庄助の役宅があった(大庄屋・小庄屋・横目一覧「農民一揆」所収)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by