朝日日本歴史人物事典 「詫磨能秀」の解説
詫磨能秀
生年:建久9(1198)
鎌倉初期の武士。大友能直の次男。母は高山重範の娘(風早禅尼深妙)。詫磨氏の始祖。貞応2(1223)年父より肥後国神蔵庄地頭下司職,飽田郷内所領所職,鹿子木東庄内所領所職を譲られ,また母より延応2(1240)年に豊後国大野庄内志賀村半分地頭職を,さらに建長5(1253)年に相模国大友庄内名田在家を譲られている。そのほか建長3年には鎌倉山王堂谷地を将軍家下文により拝領している。これらの所領所職は弘長2(1262)年に長男時秀,次男直秀に配分されている。<参考文献>「詫摩文書」(『熊本県史料』5巻)
(瀬野精一郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報