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「チャンパ」のページをご覧ください。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…カンボジアのトンレサップ湖北岸に都を置いたこの国の強盛は,アンコール・ワットに代表される巨大な石造遺跡群や,バライと呼ばれる広大な人工湖の存在からこれをうかがうことができる。ベトナム中部から南部にかけては2世紀以降チャム族の建てたチャンパ(林邑,環王国,占城)があり,建築物の遺構や刻文の内容から〈インド化〉の状態をうかがうことができる。チャンパはソンコイ(ホンハ)川流域から南に向かって膨張するベトナムの勢力に圧迫され,15世紀に滅亡してしまった。…
… 前2世紀ころから中国に西域楽とその楽器(胡笳,胡笛,琵琶,箜篌など)や百戯などが伝来しはじめ,それまでに形成された漢民族固有の楽舞に外来文化の要素が付加される。後2世紀ころには天竺楽や亀茲楽が導入され,以後,南北朝,隋,唐と時代が下るにつれて北狄,扶南,林邑,高麗,百済,新羅などの楽舞が輸入された。こうして6~8世紀の中国の宮廷では実に国際的な音楽が享受された。…
…2世紀末に中国人の統治に抵抗して建国したとされ,建国期の歴史は中国史料によって伝えられている。中国人に古くは林邑(りんゆう)の名で呼ばれ,初めは中国文化の影響を受けたが,3世紀末までにインド文化を取り入れた社会を形成するとともに,現在の中部ベトナムのクアンナム北方からフーカイン省ナイ岬付近にかけて複数の氏族勢力圏をつくり,その全体をゆるやかに支配する最初の王朝も存在した。伝存するサンスクリット碑文によると,4世紀末にバードラバルマン1世Bhadravarman Iがクアンナム南西のミソンにシバ神を祀る神殿を建立しており,第2王朝とみられるこの時代に地方勢力が統合されてインド風の王国が成立した。…
…後漢末,中国本土に群雄が割拠するや,この地の中国人はシーニェプ(士燮)を立てて自立した。この勢力はシーニェプの死後,呉に滅ぼされるが,最南方の日南郡に自立した現地人首長の区逵(おうき)は林邑王国の建設に成功し,おりからモンスーンの利用が始まり,これによって活発化した東西交渉の中継国として繁栄していく。3世紀ころから中国の支配はしだいに山地まで覆うようになり,7世紀に現在のハノイ付近に安南都護府が置かれたときには,39県のほかに60ほどの覊縻(きび)州があった。…
※「林邑」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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