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海道記 かいどうき

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

海道記
かいどうき

鎌倉時代中期の紀行文学。作者未詳。一説に源光行かという。1冊。貞応2 (1223) 年以後まもなく成立。京都に住む隠者が,貞応2年初夏,14日を費やして東海道鎌倉まで下り,しばらく同地に滞在,帰京を決意するまでのことを記す。文体対句の多い和漢混交体。見聞する景観や生活風景に触発されて,人生論的な感想を吐露し,和歌を添える。儒教や仏教の影響が著しく,仏典や漢籍の引用が多い。承久の乱で処刑された公卿をいたんでいること,富士山の個所で『竹取物語』とやや異なるかぐや姫伝説が語られていることなどが注目される。成立後まもなく『平家物語』巻十「海道下り」の章に影響を及ぼし,近世にも愛読された。

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デジタル大辞泉の解説

かいどうき〔カイダウキ〕【海道記】

鎌倉時代の紀行。1巻。作者未詳。貞応2年(1223)京都と鎌倉間の東海道を往復した際の紀行。文体は漢文脈の濃い和漢混交文で、仏教思想の影響が強い。

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百科事典マイペディアの解説

海道記【かいどうき】

鎌倉初期の紀行。1巻。鴨長明作あるいは源光行作といわれるが不詳。京都白河の隠士が1223年鎌倉に下り,再び帰京の途につくまでを記す。和漢混淆(こんこう)文の紀行として《東関紀行》と並び称される。
→関連項目赤坂池田宿江尻事任神社手越宿橋本宿

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世界大百科事典 第2版の解説

かいどうき【海道記】

鎌倉初期の紀行。1巻。著者は未詳。洛外白川あたりに住む50歳を過ぎた出家者が,貞応2年(1223)4月4日に都を出発し東海道を経て同月17日に鎌倉に着き,10日間ほど滞在の後,帰京の途につくまでの模様を記す。内容は,京都から鎌倉までの道中の叙述を主とするが,その前後に出家者としての仏教的な思いを述べており,随想的な一面をももつ。文章は漢文訓読調で,生硬な印象を与える。【今西 祐一郎】

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大辞林 第三版の解説

かいどうき【海道記】

紀行。一巻。作者未詳。1223年に京都・鎌倉間を旅した際の、道中および鎌倉の記録、旅により触発された仏道に関する述懐などを、漢語・対句を多く用いた凝った文体で記す。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

海道記
かいどうき

鎌倉初期の紀行文学。1巻。作者は京都白川(しらかわ)のあたりに住む50歳過ぎの佗(わ)び人(びと)というだけで詳しいことはわからない。1223年(貞応2)4月上旬に京都を出発して伊勢路(いせじ)をとり、足柄山(あしがらやま)を越えて鎌倉に着くまでの15日間と鎌倉に十数日間滞在し、5月の初めに帰京の途につくまでを描く。文章は漢文調で仏教用語が多く、技巧的でやや難解なところがある。序では立身出世の希望を失って自分の無芸無能を嘆き、貧乏な果報のなかで煩悶(はんもん)し、死ぬこともできず世をいとう気持ちからしだいに出家し旅に出る過程を語っている。作者は旅のなかで人間の心の温かさや生きていくことの尊さ、喜びを学び、鎌倉滞在中に出家が最上の報恩であることを知りながら母が子を思う情に背くことができず、無為(むい)と有為(うい)のはざまで苦しむようすを描いている。絶望から希望への過程を描いた紀行文学作品として優れた作品である。[祐野隆三]
『玉井幸助・石田吉貞校註『日本古典全書 海道記・東関紀行・十六夜日記』(1951・朝日新聞社)』

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