柱村(読み)はしらむら

日本歴史地名大系 「柱村」の解説

柱村
はしらむら

[現在地名]岡崎市柱町

岡崎城下の南、戸崎とざき村・羽根はね村を経て柱村に至る。橋良または橋楽とも記す。天文五年(一五三六)の土地売券には「柱郷」とあるという(岡崎市史)。「三河堤」に柱古屋敷として神尾与四郎・同与五郎・近藤兵大夫の名があり、神尾与四郎・与五郎父子は松平七代清康に仕えた。一向一揆の時、家康の家臣蜂屋貞次は真宗門徒であったため一揆方の中心となったが、家康と対決するに及び退去した。この地を字槍小路やりこうじとよぶという(同書)。正保四年(一六四七)検地では村高三八九石余、うち水田二六四石余・畑一二四石余とある。岡崎藩領山方手永に属し、享和二年書上によると、人別二〇五人、うち男九三・女一一二とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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