石山合戦(読み)いしやまかっせん

百科事典マイペディア 「石山合戦」の意味・わかりやすい解説

石山合戦【いしやまかっせん】

石山本願寺一揆とも。1570年織田信長は,摂津(せっつ)国石山の本願寺大坂御坊)に退去を要求。これを拒絶した法主(ほっす)顕如(けんにょ)は,諸国門徒に蜂起(ほうき)を司令し,信長攻撃。当初三好・浅井朝倉・武田氏らと同盟した近江一揆長島一揆など諸国の一向一揆が信長を追いつめたが(一次講和),同盟者の敗退などで形勢は逆転(二次講和・三次講和),毛利氏と結び立直しを図るが,5年間の籠城戦の末,1580年閏(うるう)3月信長に降伏,退去した。信長の天下布武を決定づけた戦い。→雑賀一揆
→関連項目加賀一向一揆金森雑賀雑賀孫市天王寺根来衆村上水軍

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「石山合戦」の意味・わかりやすい解説

石山合戦
いしやまかっせん

織田信長と摂津国石山本願寺に拠る本願寺第 11世顕如との間で元亀1 (1570) 年から天正8 (80) 年までの 11年間にわたって続けられた合戦。室町時代中期以降,浄土真宗 (一向宗) 教団の伸張は著しく,一向一揆は,領主守護大名などに対する戦いを広範囲に展開した。本願寺第 10世証如は,第8世蓮如の建立した石山道場を同宗の本寺とし,寺域を広げ,防備を固め,門前に新興商工業者を集め,やがて同寺は一大領主勢力に発展した。浅井,朝倉両氏を討って全国統一を目指す織田信長は元亀1年,本願寺打倒に立上がり,本願寺はその興廃をかけて全国門徒を対信長戦に駆りたてた。以来,天正8年3月,顕如が信長と和して本願寺を信長に渡し,同年4月,紀伊雑賀 (さいが) に退くまで合戦は続けられた。この間,信長は一向宗門徒を近江,長島,雑賀に討ち,浅井,朝倉両氏を滅ぼし,武田氏を長篠に討ち,さらに伊勢に北畠氏を滅ぼし,一方,中国征伐の軍を起すなど,本願寺を孤立させていった。石山本願寺の降伏は,信長の畿内および周辺に対する政権の確立を意味する。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「石山合戦」の解説

石山合戦
いしやまかっせん

1570~80年(元亀元~天正8)の織田信長と石山本願寺・一向一揆の戦。信長の矢銭徴収や石山退去要求によって両者の関係が悪化し,70年9月12日,本願寺が挙兵した。本願寺の顕如は各地の一向宗門徒に決起を促し,浅井氏・朝倉氏・武田氏ら時々の反信長勢力と同盟関係を結んで反抗したため,畿内・東海・西国にわたる戦となり,和睦と戦争がくり返された。76年4月から石山籠城戦が開始され,信長は補給を支える雑賀(さいか)衆・毛利水軍と戦うが,信長軍に裏切りがあいついだ。80年閏3月,本願寺が勅命講和をのんで終結。それまでで最大の一向一揆を屈服させたことで,信長の天下統一は一挙に現実化した。

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旺文社日本史事典 三訂版 「石山合戦」の解説

石山合戦
いしやまがっせん

1570年から'80年にかけて,織田信長が大坂石山本願寺一揆を征討した戦い
信長は全国統一の歩を進め,一向一揆の本拠地石山本願寺を攻撃。各地の一向一揆や毛利氏の後援もあり,本願寺側は11世顕如を中心に善戦したが,勅旨により紀伊鷺森 (さぎのもり) に退去した。

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改訂新版 世界大百科事典 「石山合戦」の意味・わかりやすい解説

石山合戦 (いしやまがっせん)

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世界大百科事典(旧版)内の石山合戦の言及

【石山本願寺一揆】より

…1570年(元亀1)から80年(天正8)まで織田信長と戦った一向一揆。石山合戦ともいうが,本願寺の所在地摂津国石山で11年間絶えまなく戦闘があったわけではない。 1568年(永禄11)入洛した信長は70年石山明渡しを要求し,本願寺はこれを拒絶して緊張は激化していた。…

【大坂城(大阪城)】より

…戦国時代,1532年(天文1)本願寺がここを本拠とし,御堂を中心に寺内町をつくり,濠,土塁を築いて城構えをしたのにはじまる。統一政権樹立を目ざす織田信長は,本願寺に大坂からの退去をせまり,両者の対立は11年にわたる石山合戦に発展した。石山の城は容易に落ちず朝廷の斡旋で和議が成り,本願寺は紀州鷺森に移り,そのさい寺内は炎上した。…

【天王寺】より

…古くから竹内街道,西高野街道,熊野街道などの通過する交通の要地で,南北朝時代には1332年(元弘2)の天王寺合戦以来たびたび南北両軍の争奪のまととなった。石山合戦(1570‐80)のときには,織田信長軍の砦が築かれ,石山本願寺攻略の一拠点となった。豊臣秀吉の大坂築城後は,外構えとして重要視され,大坂の陣では徳川家康の本営が置かれた。…

【本願寺】より

…また朝廷や公家に献金して《三十六人集》《栄花物語》などを賜り,1559年(永禄2)には門跡に列せられた。天下統一に着手した織田信長がこの地を入手しようと図り,70年(元亀1)本願寺を攻め,石山合戦(石山本願寺一揆)が始まった。80年(天正8)朝廷の斡旋により信長と講和し,11世顕如らは石山本願寺を退去して紀伊国鷺森に寺基を移した。…

※「石山合戦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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