百科事典マイペディア 「石山合戦」の意味・わかりやすい解説
石山合戦【いしやまかっせん】
→関連項目加賀一向一揆|金森|雑賀|雑賀孫市|天王寺|根来衆|村上水軍
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1570~80年(元亀元~天正8)の織田信長と石山本願寺・一向一揆の戦。信長の矢銭徴収や石山退去要求によって両者の関係が悪化し,70年9月12日,本願寺が挙兵した。本願寺の顕如は各地の一向宗門徒に決起を促し,浅井氏・朝倉氏・武田氏ら時々の反信長勢力と同盟関係を結んで反抗したため,畿内・東海・西国にわたる戦となり,和睦と戦争がくり返された。76年4月から石山籠城戦が開始され,信長は補給を支える雑賀(さいか)衆・毛利水軍と戦うが,信長軍に裏切りがあいついだ。80年閏3月,本願寺が勅命講和をのんで終結。それまでで最大の一向一揆を屈服させたことで,信長の天下統一は一挙に現実化した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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…1570年(元亀1)から80年(天正8)まで織田信長と戦った一向一揆。石山合戦ともいうが,本願寺の所在地摂津国石山で11年間絶えまなく戦闘があったわけではない。 1568年(永禄11)入洛した信長は70年石山明渡しを要求し,本願寺はこれを拒絶して緊張は激化していた。…
…戦国時代,1532年(天文1)本願寺がここを本拠とし,御堂を中心に寺内町をつくり,濠,土塁を築いて城構えをしたのにはじまる。統一政権樹立を目ざす織田信長は,本願寺に大坂からの退去をせまり,両者の対立は11年にわたる石山合戦に発展した。石山の城は容易に落ちず朝廷の斡旋で和議が成り,本願寺は紀州鷺森に移り,そのさい寺内は炎上した。…
…古くから竹内街道,西高野街道,熊野街道などの通過する交通の要地で,南北朝時代には1332年(元弘2)の天王寺合戦以来たびたび南北両軍の争奪のまととなった。石山合戦(1570‐80)のときには,織田信長軍の砦が築かれ,石山本願寺攻略の一拠点となった。豊臣秀吉の大坂築城後は,外構えとして重要視され,大坂の陣では徳川家康の本営が置かれた。…
…また朝廷や公家に献金して《三十六人集》《栄花物語》などを賜り,1559年(永禄2)には門跡に列せられた。天下統一に着手した織田信長がこの地を入手しようと図り,70年(元亀1)本願寺を攻め,石山合戦(石山本願寺一揆)が始まった。80年(天正8)朝廷の斡旋により信長と講和し,11世顕如らは石山本願寺を退去して紀伊国鷺森に寺基を移した。…
※「石山合戦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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