日本大百科全書(ニッポニカ) 「柳家柴朝」の意味・わかりやすい解説
柳家柴朝
やなぎやしちょう
(1873―1918)
新内節の演奏家。本名尾山亀次郎(かめじろう)(または亀吉)。富山市生まれで盲人。1884年(明治17)鶴賀(つるが)花太夫に入門し上京、88年師の了承を得て久留米(くるめ)の富士松紫朝(ふじまつしちょう)に入門、紫玉(しぎょく)の名をもらう。のち下関で稽古(けいこ)屋を開いたが、いったん故郷の富山へ帰り、富士松左交を名のって単身で旅回りに出た。96年、横浜・新富亭に出演中、柳亭左楽(りゅうていさらく)の勧めで落語柳(やなぎ)派に加入、翌年の初春から東京府下の寄席(よせ)に柳家柴朝の名で出演し、柴の名を後年紫と変えた。弾き語りは盲人特有の渋い音調で、甲(かん)になると絞り出すような声に哀韻切々と迫る情感の魅力があり、その芸風を絶賛する愛好家も多い。明治後期から大正前期吹き込みのレコードによって、そのおもかげをしのぶことができる。
[林喜代弘]