久留米(読み)くるめ

精選版 日本国語大辞典 「久留米」の意味・読み・例文・類語

くるめ【久留米】

[1] 福岡県南西部、筑紫平野の東部にある地名。江戸時代は有馬氏二一万石の城下町として発達。かつては軍都として栄え、現在は日本最大のゴム工業都市。久留米絣を特産。明治二二年(一八八九市制
[2] 〘名〙

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デジタル大辞泉 「久留米」の意味・読み・例文・類語

くるめ【久留米】

福岡県南西部の市。もと有馬氏の城下町。久留米絣くるめがすりの産地。ゴム工業や稲作・花木栽培などが盛ん。人口30.2万(2010)。
久留米絣」「久留米縞」の略。

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改訂新版 世界大百科事典 「久留米」の意味・わかりやすい解説

久留米[市] (くるめ)

福岡県南西部の市。2005年2月旧久留米市が北野(きたの),城島(じょうじま),田主丸(たぬしまる),三潴(みづま)の4町を編入して成立した。人口30万2402(2010)。

久留米市北部の旧町。旧三井郡所属。人口1万7404(2000)。筑紫平野の中北部に位置し,南は旧久留米市に接する。南縁を筑後川が西流し,町域はその北岸にひらける。肥沃な土壌に恵まれ,米どころとして知られる。また野菜生産も盛んで,レタスなど100品目を超える野菜が,福岡市をはじめ阪神・京浜方面まで出荷される。中心集落の北野は,北野天満宮鳥居前町として発達し,かつては三井郡の経済の中心であったが,西鉄甘木線が開通(1921)してからは久留米に商業の繁栄を奪われ,一時人口も停滞していたが,最近は久留米の発展の影響で増加傾向に転じている。1054年(天喜2)勧請の社伝をもつ北野天満宮の石造鳥居,大クスなどは県指定文化財。
執筆者:

久留米市中部の旧市で,商工業都市。1889年福岡市とともに県下最初の市制をしき,1917年以後鳥飼村など13町村を編入。人口23万6543(2000)。筑後川が流れを西から南西に転ずる屈曲点,筑紫平野のほぼ中央に位置し,西は筑後川をはさんで佐賀県と相対する。古く筑後国の国府,国分寺がおかれ,1621年(元和7)から有馬氏21万石の城下町として発展した。廃藩置県で久留米県,次いで三瀦県の県庁所在地となり,1876年福岡県に併合されてからも全九州を商圏とする久留米商人の町として栄え,1907年の陸軍第18師団設置後は軍都としても発展した。22年座敷足袋を改良して始まった地下足袋生産はその後ブリヂストンタイヤ(現,ブリヂストン)などによってゴム靴,ズック靴,タイヤ,チューブ製造に発展し,日本一のゴム工業都市となった。ゴム製品を主とする工業出荷額および卸・小売業販売額は,いずれも北九州,福岡の両100万都市に次いで県下3位である。特産の久留米絣はすべて市外で生産され,市内の繊維問屋に集められる。JR鹿児島本線から久大本線,西鉄大牟田線から甘木線,国道3号線から209号,210号線がそれぞれ分岐し,九州自動車道のインターチェンジがある。2011年九州新幹線の久留米駅が開業。福岡市の膨張に押されて商業は筑後地方中心のものに縮小し,福岡市の衛星都市的性格が強まっている。多数の重要文化財を蔵する筑後一宮高良(こうら)大社や善導寺をはじめ,篠山(ささやま)城跡,梅林寺,水天宮,いずれも国指定史跡の日輪寺,浦山,下馬場各装飾古墳,御塚・権現塚古墳高良山神籠石,高山彦九郎墓など,史跡や名所に富む。久留米大学,久留米工業大学,国立工業高専,自衛隊幹部候補生学校,同第4特科連隊,石橋文化センターもある。
執筆者:

戦国時代末期,高良山座主良寛の弟,丹波麟圭の居城があり,そのまわりに小城下町ができていた。1587年(天正15)久留米城主となった毛利秀包(ひでかね)が城郭を修築し,城下町を整備した。この時に久留米の原型がつくられたといってよい。関ヶ原の戦の後,田中吉政が筑後一国を領して柳河城に入り,次男則政を久留米城に配置した。しかし,1615年(元和1)の幕府の一国一城令で廃城となった。20年田中氏除封のあと,筑後北部8郡を与えられて入部した有馬豊氏が城下町の拡大をはかった。町の北端,筑後川の湾曲部に面して篠山城があり,その南・東方に武家屋敷,さらに濠をへだてて町人町が配置された。町人町は東西に長くのびる長町(1~10丁)を中心として,新町,紺屋町,両替町など,そして南にのびる柳河街道に沿って原古賀町が作られ,旧来の町人のほかに各地の商工業者を移り住ませた。また城下の南西部の瀬下(せのした)に河港が建設され,旧河港の洗切(あらいきり)の町民がそこへ移されて瀬下町を構成した。そして長町7丁目の北側に26ヵ寺を集めた寺町が作られた。99年(元禄12)の町家数は1508軒,町家人口は8764人であった。こうして17世紀中ごろに城下町は一応の完成をみたが,1726年(享保11)の大火を機に城に近い両替町,池町を広場にし,その町家を原古賀町や小頭町に移した。久留米は筑前から肥後,薩摩への,また豊後から肥前へのコースの交差するところであったから街道が発達していた。ことに筑前と肥後,薩摩を結ぶ街道は大名の参勤路でもあり,城下東郊の府中に宿駅が設けられて人馬の継立てを行った。筑後川の水運も盛んで,瀬下が城下の河岸として年貢米その他の貨物の輸送にあたった。城下町は領内経済の要であったから領内・領外の商品が集まった。町の特産物の筆頭は久留米絣である。久留米絣は99年(寛政11)ころ井上伝(でん)が考案したものであるが,のち田中久重(からくり儀右衛門)らの協力によって絵模様を織り出すことに成功し,織屋も400人に及んだという。18世紀の後半に町はやや衰微し,1780年(安永9)には人口が7631人にまで減少した。しかし19世紀に入ると再び発展し,1858年(安政5)には1万1208人を数えた。町人町は8掛に分けられ,各掛に1名ずつの町別当がおかれて町政を総括した。各町1~2名の目付がそれを補佐,町民は五人組に組織された。久留米藩の町政担当者は町奉行である。9世紀に勧請されたといわれる篠山町の祇園社は久留米町人の氏神で,毎年6月の祇園会には各掛から1台ずつ出された山車が姸(けん)を競った。また筑後川の水神を祭る水天宮の川祭も瀬下町の氏子によって毎年11月15日に盛大に行われた。
執筆者:

久留米市南西端の旧町。旧三潴郡所属。人口1万3946(2000)。筑紫平野のほぼ中央,筑後川下流の低湿な三角州地帯からなり,クリークが縦横に走る。基幹産業は農業で,米作を主体とするが,近年イグサ,イチゴ,ネギなどの生産も伸びている。穀倉地帯を背景に元禄期(1688-1704)より酒造業が盛んで,〈九州の灘〉ともいわれる。伝統産業として瓦製造があり,かつては和傘の産地でもあった。また産卵期に筑後川を上るエツ漁が行われ,観光客を集める。

久留米市東部の旧町。旧浮羽郡所属。人口2万1532(2000)。筑後川中流南岸,筑紫平野東部に位置し,西は旧久留米市に接する。南部に耳納(水縄)(みのう)山地があり,北端の筑後川までは沖積低地が広がる。産業の中心は農業で,米作を主体とするが,耳納山地北麓では植木,苗木の栽培,さらにブドウ,富有柿,ミカンの栽培が盛んで,特に植木,苗木は久留米藩の産業振興に起源をもち全国三大産地の一つに数えられている。耳納山麓一帯には大小さまざまな古墳があり,寺徳古墳は国の史跡に指定された装飾古墳である。JR久大本線が通じる。

久留米市南西部の旧町。旧三潴郡所属。人口1万5459(2000)。筑紫平野中央部に位置する。古代にはこの一帯は〈水沼(みぬま)の県(あがた)〉といわれており,中世には宝荘厳院領三潴荘に含まれていた。近世には久留米藩領であった。主産業は農業で,米作,養鶏,養豚が行われ,鶏卵の生産が多い。花卉,イチゴの栽培も盛ん。庭園用の松は,〈みづま松〉として全国に出荷されている。中央部を西鉄大牟田線が南北に貫き,交通の便がよいため,近年旧久留米市,大牟田市などのベッドタウン化が進んでいる。
執筆者:

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日本歴史地名大系 「久留米」の解説

久留米
くるめ

南北朝期から戦国期にかけてみえる御井みい郡内の地名。ただし同郡内の久留米は東久留米で、その西に三潴みづま郡に含まれる西久留米が存在した(筑後地鑑)。貞和三年(一三四七)九月日の玉垂宮・大善寺免田注文写(御船文書/南北朝遺文(九州編)二)に久留米入道とみえ、大善だいぜん玉垂たまたれ宮の免田である定額田の作人の一人が三潴郡夜明よあけ村に居住する久留米入道であった。応永二五年(一四一八)二月二八日の報恩寺寺領坪付注文(隈文書/久留米市史7 資料編古代・中世)の畠地坪付に久留目屋敷と記される。この報恩寺は大善寺玉垂宮に属した可能性が指摘されている(太宰管内志)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「久留米」の意味・わかりやすい解説

久留米
くるめ

東京都中北部にある東久留米市(ひがしくるめし)の旧町名。1970年(昭和45)北多摩郡久留米町が市制施行にあたって改称した。

[編集部]

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旺文社日本史事典 三訂版 「久留米」の解説

久留米
くるめ

福岡県南西部,佐賀県境の筑後川沿岸にある都市
江戸中期以来,久留米絣 (がすり) の特産地。有馬氏21万石の城下町で,筑紫平野の米・菜種の集散地でもあった。1889年市制を施行。

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