20世紀日本人名事典 「柳本素石」の解説
柳本 素石
ヤナギモト ソセキ
明治・大正期の日本画家
- 生年
- 慶応4年4月29日(1868年)
- 没年
- 大正7(1918)年1月7日
- 出生地
- 土佐国高知城下(高知県)
- 本名
- 柳本 繁馬
- 経歴
- 土佐藩御用絵師・柳本圭吾(洞素)の子に生まれる。父に狩野派を学び、明治22年京都に出て当時四条派の高名な画家・国分文友に師事、松村景文派の画法を学び、更に諸家の画風を研究。この間、18年に家督を相続していたが、25年帰郷、27年父が死去してして以来郷里を出ず、四条派を広めた。南部錦渓・河野棹舟らと土佐美術協会を創立し、別役春田を会長にして新風の振興に努め、高知県尋常師範学校、土佐高等女学校などの嘱託もした。44年土陽美術会高知支部発足に際し、率先して幹事を務め、近代画を目指す谷脇素文・島内松南・下司凍月・浜口松堂ら若い画学徒がこぞって入門した。画風は花鳥・人物ともに秀で、中でも「猿図」が有名。作品は膨大な物を描き、博覧会・共進会などに出品し20回余り受賞、多くの門弟を養ったが、その生活は清貧だった。大正7年高知市小石木の山頂に埋葬され、「素石柳本先生墓」の碑が川谷広次(横雲)の書により門弟らを発起人として建つ。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報