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柳沢信鴻 やなぎさわ のぶとき

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美術人名辞典の解説

柳沢信鴻

江戸時代中期の大名・俳人。郡山藩主。字は伯鸞、名は久菊・義稠・信卿・伊信、号は米翁・紫子庵等。吉里の子。大和郡山生。従四位下美濃守・左兵衛督を務める。冷泉家門人。書画・和歌・俳諧を能くした。著書に『新編拾草集』等がある。寛政4年(1792)歿、69才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

柳沢信鴻 やなぎさわ-のぶとき

1724-1792 江戸時代中期の大名,俳人。
享保(きょうほう)9年10月29日生まれ。柳沢吉里の次男。延享2年大和(奈良県)郡山(こおりやま)藩主柳沢家2代となる。俳諧(はいかい)を国枝曲笠(きょくりつ),岡田米仲(べいちゅう)らにまなび,江戸俳壇で活躍した。寛政4年3月3日死去。69歳。初名は義稠(ともあつ)。号は米翁,月村所,蘇明山人など,隠居後は香山。句集に「蘇明山荘発句藻」,日記に「宴遊日記」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

柳沢信鴻

没年:寛政4.3.3(1792.4.23)
生年:享保9(1724)
江戸中期の俳人。名は信郷,伊信,隠居後に信鴻。大和郡山藩主。吉里の子。俳号として米翁が有名。他に月村所,紫子庵,香山。俳諧は春来に学び,のち岡田米仲に師事。安永2(1773)年に所領15万1000石を嫡子保光に譲渡後,江戸駒込染井の別邸六義園に隠居。信鴻にかかわる記録は多く,公用日記『幽蘭台年録』があり,他に『宴遊日記』『松鶴日記』の個人的記録も残る。俳諧に遊び,観劇に興じた一生であった。句集に『染井山荘発句藻』(1784)がある。<参考文献>花咲一男『柳沢信鴻日記覚之書』

(楠元六男)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の柳沢信鴻の言及

【致仕】より

…死後藩主に戻された)の場合など,領地を与えられて老後の保障を受ける特殊な例もあったが,普通は藩主より年々一定の米金を受けて生活する。なお,堅苦しい藩主の地位から解放されて悠々自適の生活に入り,ことに観劇,園遊等を楽しむ余生を送った柳沢信鴻(のぶとき)のような人物もいた。【上野 秀治】。…

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