朝日日本歴史人物事典 「柳沢信鴻」の解説
柳沢信鴻
生年:享保9(1724)
江戸中期の俳人。名は信郷,伊信,隠居後に信鴻。大和郡山藩主。吉里の子。俳号として米翁が有名。他に月村所,紫子庵,香山。俳諧は春来に学び,のち岡田米仲に師事。安永2(1773)年に所領15万1000石を嫡子保光に譲渡後,江戸駒込染井の別邸六義園に隠居。信鴻にかかわる記録は多く,公用日記『幽蘭台年録』があり,他に『宴遊日記』『松鶴日記』の個人的記録も残る。俳諧に遊び,観劇に興じた一生であった。句集に『染井山荘発句藻』(1784)がある。<参考文献>花咲一男『柳沢信鴻日記覚之書』
(楠元六男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報