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柳沢吉里 やなぎさわ よしさと

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美術人名辞典の解説

柳沢吉里

江戸中期の武将。吉保の長男。初名は安暉。従四位下に叙せられ、寛永6年父に継いで甲斐守と称する。画を能くし、特に紅梅を能くした。延享2年(1745)歿、59才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

柳沢吉里 やなぎさわ-よしさと

1687-1745 江戸時代中期の大名。
貞享(じょうきょう)4年9月3日生まれ。柳沢吉保(よしやす)の長男。宝永6年甲斐(かい)(山梨県)府中藩主柳沢家2代となる。養蚕,ブドウの増産,土木事業,甲州金の改鋳などをおこなう。享保(きょうほう)9年転封(てんぽう)により,大和(奈良県)郡山(こおりやま)藩主柳沢家初代となる。15万1200石。禁裏守護,南都(奈良)・京都の火消御用をつとめた。延享2年9月6日死去。59歳。初名は安暉,安貞。通称は兵部。著作に「福寿堂年録」「潤玉和歌集」など。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典内の柳沢吉里の言及

【郡山藩】より

…85年(貞享2)本多忠平と代わったがこの本多家11万石も5代で断絶した。1724年(享保9)柳沢吉里が甲斐国から転封,大和のほか河内・近江などで15万1200石を領し,信鴻(のぶとき),保光,保泰(やすひろ),保興,保申(やすのぶ)とつづいて1871年(明治4)廃藩置県に至り郡山県となった。吉里や保光の家老柳沢里恭(淇園(きえん))は文人として知られる。…

【柳沢氏】より

…江戸時代の譜代大名家。もと甲斐の住人で武田氏に仕え,その後徳川の家臣となる。柳沢安忠のとき家光の弟の駿河大納言忠長付となり,忠長の改易で浪人したが,やがて館林藩主徳川綱吉に仕える。その子柳沢吉保が綱吉の将軍家相続に従って幕臣となり,側近として栄進,甲府城主15万石余,松平の家号を許された。その子吉里は,1724年(享保9)大和郡山城に移り,以後明治に至る(郡山藩)。分家として吉保の四男経隆の越後黒川藩1万石,五男時睦(ときちか)の越後三日市藩1万石がある。…

【柳沢吉保】より

…江戸幕府5代将軍徳川綱吉の寵臣。初名房安,保明(やすあきら),通称弥太郎。父安忠は館林藩時代の綱吉に仕え,勘定頭を務め,知行高160石と蔵米370俵を受けた。保明は1675年(延宝3)相続,綱吉の小姓を務め,80年綱吉の将軍就任に従って幕臣に加えられ,小納戸となった。その後頻繁に昇進,加増を受け,85年(貞享2)従五位下出羽守に叙任。88年(元禄1)側用人に昇り,1万2000石の大名となる。90年従四位下に昇進,2万石加増。…

※「柳沢吉里」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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