日本の城がわかる事典 「柳生城」の解説 やぎゅうじょう【柳生城】 奈良県奈良市柳生町にあった山城(やまじろ)。柳生新陰流の開祖、柳生石舟斎宗巌(やぎゅうせきしゅうさいむねよし)の居城。柳生城は、南北朝時代に大和柳生荘の豪族柳生氏が山上に城を築いたのが始まりとされる。1544年(天文13)、柳生家巌・宗巌父子は山中衆と共に大和に勢力拡大をはかる筒井順昭(じゅんしょう)に抵抗したが、筒井軍の大軍に攻められ落城した。織田信長の大和侵攻に功あって所領を得たが、豊臣秀吉の文禄検地で隠し田が露見して所領は没収された。1600年(慶長5)関ヶ原の戦いの戦功により柳生の旧領2000石を与えられ、柳生家を再興した。柳生家の菩提寺芳徳寺(ほうとくじ)は初期の城跡に建てられており、付近には堀割などの跡がある。また芳徳寺前には「石舟斎塁城」の石碑が建っている。JR奈良線奈良駅または近鉄奈良線奈良駅からバス、柳生または正木坂下車。 出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報