奈良市北東部、大和(やまと)高原の北部にある山間小盆地の農村地区。水田耕作や茶栽培などが行われている。旧柳生村、大柳生村の区域で、旧柳生村は、江戸時代に将軍家剣術指南役であった柳生氏1万石の陣屋が置かれた地。陣屋跡、柳生氏の菩提寺(ぼだいじ)である芳徳寺(ほうとくじ)、柳生藩主墓所、柳生磨崖(まがい)碑(疱瘡(ほうそう)地蔵)、旧柳生藩家老屋敷、柳生花しょうぶ園などがある。また、旧大柳生村には太鼓踊(県指定無形文化財)で知られる式内社の夜支布山口神社(やぎゅうやまぐちじんじゃ)や、忍辱山(にんにくせん)円成寺(えんじょうじ)がある。なお、奈良市街と柳生を結ぶ柳生街道は東海自然歩道の一部となっている。また、国道369号が通じる。
[菊地一郎]
奈良県奈良市北東部の地名。木津川の支流白砂川,水間(みま)川流域,大和高原北部の小盆地で,米作や茶の栽培が行われる。古くは《和名抄》に添上郡楊生(やぎゆう)郷として名が見える。また春日社領神戸四ヵ郷のうちに大楊生郷,小楊生郷があった。現在,柳生町の山沿いの道のかたわらに正長の土一揆の際の柳生徳政碑(史)があり,神戸四ヵ郷の債務破棄を明記した文言が残る。新陰流の剣法で知られる柳生氏は当地の土豪で,将軍徳川秀忠,家光の兵法師範をつとめた柳生宗矩は1636年(寛永13)大名に列し,柳生の正木坂に陣屋を置いた。かつての柳生氏の居城跡に宗矩が創建したという臨済宗芳徳寺には,柳生氏一族の墓80余基が並ぶ。柳生藩家老であった小山田氏の石垣をめぐらした屋敷や,柳生十兵衛が植えたという杉の大木〈十兵衛杉〉がある。大柳生町にある夜支生(やぎゆう)山口神社は式内社で,大楊生郷の郷社として信仰され,宮座では〈廻り明神〉をまつり,8月17日夜には太鼓踊が奉納される。春日山と高円(たかまど)山の間の谷川に沿って,かつての柳生街道が通じる。石畳の山道で,滝坂道には多数の石仏が残る。
執筆者:高橋 誠一
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