日本大百科全書(ニッポニカ) 「柳生連也」の意味・わかりやすい解説
柳生連也
やぎゅうれんや
(1625―1694)
江戸初期の剣術家。尾張(おわり)柳生の祖利巌(としとし)の三男。幼名は兵助(ひょうすけ)、通称七郎兵衛、名は巌包(としかね)、入道して連也斎(れんやさい)、また、浦(うら)姓を称して浦連也(うられんや)と号した。幼少から剣術修行に異才を発揮し、1648年(慶安1)父の隠居後は、兄茂左衛門利方(もざえもんとしかた)(如流斎)にかわって道統を継承し、尾張2代藩主徳川光友(みつとも)の兵法師範を勤めた。大転(おおまろばし)取り揚(あ)げの遣(つか)い形などを創案し、51年3代将軍家光(いえみつ)の兵法上覧に兄弟でその妙技を披露して嘉賞された。新陰柳生流黄金時代の掉尾(とうび)を飾るにふさわしい名人であった。晩年は茶事・造園に自適の生活を送り、好んで茶入を焼かせ、鐔(つば)をつくらせた。その鐔はユニークな図柄で知られ、「連也鐔(れんやつば)」とよばれ珍重されている。
[渡邉一郎]