日本歴史地名大系 「根利村」の解説 根利村ねりむら 群馬県:利根郡利根村根利村[現在地名]利根村根利日影南郷(ひかげなんごう)村の東に位置し、集落は根利川上流域にある。村域は広大で下水良(しもみずら)川(赤城沢)の東から下野境の袈裟丸(けさまる)山・皇海(すかい)山に及ぶ。勢多(せた)郡に属し、北は利根郡平川(ひらがわ)村、南は赤城山原野に続く。皇海山西麓一帯を根利山といい、康治二年(一一四三)八月一九日の太政官牒案(安楽寿院古文書)に土井出(つちいで)庄の東限として記す「練山」に比定される。北方コムギ峠を越えてきた道が当地を経て赤城山東麓を南下、大間々(おおまま)町(現山田郡大間々町)に至る。これを利根方面からは大間々街道、大間々方面からは根利道とよんだ。大間々まで約七里。永禄七年(一五六四)五月七日の色部勝長宛上杉輝虎書状(反町英作氏所蔵文書)に「虎房為送与近日其地之者共祢りまて打越候間、其時分可罷越事侍入候」とあり、同一〇年と推定される四月七日の山吉豊守書状(同文書)は、「根利関所被申付候之処ニ、阿久沢方より成非分義申候哉」などと記し、根利の関所の管理を命ぜられた発智氏に対し、現地の阿久沢氏や由良国繁などから妨害があることを記している。この根利道は上野東部の重要な往還で、根利に関所が置かれていたことがわかる。寛文郷帳によると高五〇石(畑方のみ)、前橋藩領。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by