利根村(読み)とねむら

日本歴史地名大系 「利根村」の解説

利根村
とねむら

面積:二七八・九八平方キロ

利根郡の東南端に位置し、北は白沢しらさわ村・川場かわば村・片品かたしな村、東は栃木県日光市・上都賀かみつが足尾あしお町、南は勢多せたあずま村・黒保根くろほね村・富士見ふじみ村・赤城あかぎ村、西は昭和しようわ村。片品村との境にみつヶ峰(二〇三二メートル)かさヶ岳(二二四六メートル)すずヶ岳(二三八八メートル)、日光市との境に宿堂坊しゆくどうぼう(一九六八メートル)、足尾町との境に皇海すかい(二一四三・六メートル)袈裟丸けさまる(一八七八・二メートル)黒保根村・富士見村との境に赤城連峰がそびえ、白沢村との境も一〇〇〇―一五〇〇メートルの山脈が続く。村の大部分は山地で、村の西部を南流する片品川と、その支流で南部を西流する根利ねり川沿いに集落が形成される。おもな交通網は片品川沿いの国道一二〇号。

江戸時代当地には二一村があったが、根利川左岸および同川合流後の片品川左岸地域は勢多郡に、それ以外は利根郡に属した。勢多郡根利村(前橋藩領)をのぞき江戸初期は全村沼田藩領であったが、天和元年(一六八一)沼田藩真田氏改易後は幕府領になり、その後は幕府領・旗本領などとして幕末に至った。


利根村
とねむら

[現在地名]君津市利根

名殿などの村の南東小櫃おびつ川左岸にある。久留里くるり城下へ二里、周淮すえ市宿いちじゆく村へ二里半、房州前原まえばら(現鴨川市)へ五里、木更津へ五里(天保一二年「村明細帳」松丘郷土史)。貞享元年(一六八四)の酒井忠挙領知目録(酒井家文書)に村名がみえ、上野前橋藩領。元禄郷帳では柳城やなしろ村枝郷利根村とあり、高八五石余。天保一一年(一八四〇)望陀郡戸口録によれば武蔵川越藩領。旧高旧領取調帳では前橋藩領。天保一二年の村明細帳によれば高一〇八石余・反別一二町七反余、うち田二町五反余・畑一〇町一反余、家数二五・人数一一八。田は谷田沢田難所にあり、分散的で土性も不良。畑作は米七分、三分は大豆・稗・芋・木綿、麦の作は不良。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android