日本歴史地名大系 「桂庵墓」の解説 桂庵墓けいあんのはか 鹿児島県:鹿児島市旧鹿児島郡・日置郡地区上伊敷村桂庵墓[現在地名]鹿児島市伊敷町梅(うめ)ヶ淵(ふち)にある。桂庵玄樹が隠棲した東帰(とうき)庵の故地で、当地は御庵(ごあん)・御石(おいし)とも称された。国指定史跡。桂庵玄樹は文明一〇年(一四七八)島津忠昌の招きで入薩、永正五年(一五〇八)六月に東帰庵で没した。没後、裏山に葬られ、杉を植えて塚とした。その後墓は忘れられていたが、鹿児島藩主島津綱貴のとき儒者愛甲喜春が墓の所在を伝え、享保七年(一七二二)大竜(だいりゆう)寺の竜玉らが墓石を建てた。天保九年(一八三八)造士(ぞうし)館教授市来政正らが石塔を建立、同一一年伊地知季安が大竜寺蔵の高城秋月筆の桂庵画像を大山等雪に模写させて墓守に与えたという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by