桐野古戦場(読み)きりのこせんじよう

日本歴史地名大系 「桐野古戦場」の解説

桐野古戦場
きりのこせんじよう

[現在地名]多久市南多久町下多久 桐野

桐野山中腹にある。応永(一三九四―一四二八)の初め渋江(川)満頼が九州探題として筑前博多はかたに下向し、同五年八月、西肥前平定のため桐野で合戦した。この戦いで松川長門守をはじめ、千葉・後藤の将兵二〇〇余人が戦死したといわれる。

「西肥古蹟詠」に「松浦山川遠進軍、桐野山戦雌雄分、英霊芯勃産英傑、挽出気五色雲」とある。また「九州治乱記」には「渋川右兵衛佐満頼、肥前国の凶党退治の為め、二月初旬博多を立ち(中略)八月十日、上松浦・下松浦・千葉・後藤以下の輩、多久・小城の間に陣を取り、桐野に於て合戦し、松川長門守達討死す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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