梅ヶ平村(読み)うめがたいらむら

日本歴史地名大系 「梅ヶ平村」の解説

梅ヶ平村
うめがたいらむら

[現在地名]引佐町的場(まとば)

都田(みやこだ)川(久留女木川)の支流獺淵(おそぶち)川の上流に位置し、東は四方浄(しほうじよう)村、西は的場村。梅平とも記される。天正一七年(一五八九)に没した龍潭(りようたん)寺二世南渓自筆の過去帳(龍潭寺文書)に「妙金禅尼・入牌、梅平」とある。元和元年(一六一五)には高二三石、田一町二反余・畑八反余(同文書)。正保郷帳では田方一四石余・畑方九石余、旗本金指近藤領。領主は変化なく幕末に至る。宝永四年(一七〇七)から本坂通気賀(けが)宿(現細江町)の助郷を勤めた(龍潭寺文書)。享保一一年(一七二六)暮れ、村々困窮のため四方浄村ほか近隣五ヵ村とともに江戸在住の領主へ直訴した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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