梨窪村(読み)なしくぼむら

日本歴史地名大系 「梨窪村」の解説

梨窪村
なしくぼむら

[現在地名]清里村梨窪

東は北流する櫛池(くしいけ)川を挟んで梨平(なしだいら)村、北西は中条(なかじよう)村・鶯沢(うぐいすざわ)村と接する。慶長三年(一五九八)の検地帳写(小山融氏蔵)によれば高四七石余、うち田四三石九斗・三町四反大八九歩、畑二石五斗余・五反半五五歩、居屋敷分五斗余・大一六歩とある。家一軒・二人で庄屋彦四郎と記され、名請人は一七人とみえる。寛文九年(一六六九)の年貢皆済目録(同氏蔵)では高五八石五斗余、うち青苧高二石一斗・地高五六石四斗九升とあり、小役銀・足役銀・荏胡麻青苧代銀などが記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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