日本大百科全書(ニッポニカ) 「鶯沢」の意味・わかりやすい解説
鶯沢
うぐいすざわ
宮城県北部、栗原郡(くりはらぐん)にあった旧町名(鶯沢町(ちょう))。現在は栗原市の中西部を占める地域。旧鶯沢町は、1951年(昭和26)町制施行。2005年(平成17)築館(つきだて)、若柳(わかやなぎ)、栗駒(くりこま)、高清水(たかしみず)、一迫(いちはさま)、瀬峰(せみね)、金成(かんなり)、志波姫(しわひめ)の8町および花山村(はなやまむら)と合併して市制施行し、栗原市となった。西部は丘陵、東部には水田が広がり、細倉地区から流れる鉛川が二迫(にのはさま)川と合流し東へ流れる。JR東北本線石越(いしこし)駅から鶯沢町の細倉マインパーク前駅まで、くりはら田園鉄道が通じていたが、2007年に廃止となった。国道457号が東西に走る。室町時代には大崎氏の支配が及んでいた。細倉鉱山は天正(てんしょう)年間(1573~1592)より鉛を産出し、明治維新後鉱山の近代化が図られ、1890年(明治23)細倉鉱山会社が誕生した。その後、鉛需要の増減とともに盛衰を繰り返したが、1987年(昭和62)に閉山。1990年(平成2)から鉱山跡を細倉マインパークとして公開。精錬工場による鉛の産出は続いている。栗原市指定無形民俗文化財に鶯沢神楽(かぐら)、八ツ鹿(やつしか)踊りが伝わる。
[後藤雄二]
『『鶯沢町史』(1978・鶯沢町)』