…日光一山は1613年(慶長18)天海が貫主となり,死後公海が門跡となり,54年からは輪王寺宮門跡が総括した。神領支配は目代(もくだい)山口氏が,日光守護は梶定良が担当したが,定良没後幕府は1700年日光奉行を新置し,91年山口氏は処罰され,日光奉行の権限は強化された。 明治維新後は神仏分離により東照宮,輪王寺,二荒山(ふたらさん)神社に分離独立し,東照宮は別格官幣社に列せられたが,堂塔のうち薬師堂(本地堂),鐘楼,鼓楼,五重塔などはそのままおかれた。…
…幕府は1648年(慶安1)ごろより目付を1人在勤させ,日光東照宮の警備と山中の監察に当てた。3代将軍徳川家光の没後,その遺臣梶定良が大猷院(家光)廟定番(じようばん)となり,ともに日光山を管轄したが,のち目付在勤制を廃し,日光奉行を創設した。老中支配,定員2名,役高2000石,役料500俵。…
※「梶定良」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
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