棚木城跡(読み)たなぎじようあと

日本歴史地名大系 「棚木城跡」の解説

棚木城跡
たなぎじようあと

[現在地名]能都町宇出津山分

宇出津うしつ湾南東部の半島状丘陵遠島とおしま山の先端部に位置する。天正年間(一五七三―九二)越後上杉氏家臣の長景連の居城とされるが(「三州志」「能登志徴」など)、それ以前に棚木氏によって築かれたと伝えられる。天正一〇年五月二七日の織田信長黒印状(長文書)によれば、長連竜は同月二二日に長景連の立籠る「太那木城」を陥落させており、信長がこれを賞している。この合戦は前田利家と上杉景勝が越中魚津で対峙していた折、上杉方の長景連・島倉吉蔵ほか牢人衆が兵舟をもって宇出津に上陸、当城に籠城したのに対し、利家が急拠長連竜を派遣してこれに対処させた戦いであった(五月一五日「前田利家書状」中谷文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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