日本大百科全書(ニッポニカ) 「検見川遺跡」の意味・わかりやすい解説
検見川遺跡
けみがわいせき
千葉市花見川区朝日ヶ丘町(東京大学検見川総合運動場内)所在の丸木舟出土遺跡。燃料不足を補うための草炭採掘中に丸木舟と櫂(かい)が発見されたため、1948年(昭和23)に慶応大学と東洋大学、51年に植物学者の大賀(おおが)一郎によって調査された。計4艘(そう)のカヤ製の丸木舟(1艘は断片)と、6本のイヌガヤ製の櫂が検出された。丸木舟のC‐14年代は3075±180年前で、縄文時代後期末ごろを示すが、吉田格(いたる)は、櫂頭部の三叉(みつまた)状彫刻から、晩期初頭と考えている。丸木舟は地表下約4メートルの泥炭層下底で発見された。縄文海進後に形成された砂州の背後に位置するが、1キロメートル圏内には同時期の遺跡はない。集落と離れた舟着き場と考えられる。大賀一郎は、50メートル離れた同層準からハスの実を得て発芽させたが、同時代のものであるか否か疑問をもつ者が多い。
[堀越正行]