楯岡城跡(読み)たておかじようあと

日本歴史地名大系 「楯岡城跡」の解説

楯岡城跡
たておかじようあと

[現在地名]村山市楯岡 楯岡

楯岡集落北東部の独立丘陵たて(二〇九・八メートル)にある連郭式の中世山城。舞鶴まいづる城ともよばれた。古代以来の交通の要地で、西と南一帯に条里遺構も確認されている。現在畑となっている中心部は、尾根続きが空堀によって断たれ、南側に腰郭的な平坦地が多く認められる。宝暦一〇年(一七六〇)の楯岡村明細帳(秋元文書)に「古城跡東西立五百間、南北横三百弐拾間、惣廻り千六拾間、高さ百弐拾間余、反別一町四反四畝余」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

機械メーカー。トヨタグループの総本家で,繊維機械のほかトヨタ自動車からの小型商用車の受託生産,エンジンその他の自動車部品,フォークリフトなどの産業用車両の生産も行なう。1926年豊田佐吉が,みずから発...

豊田自動織機の用語解説を読む