楯岡城跡(読み)たておかじようあと

日本歴史地名大系 「楯岡城跡」の解説

楯岡城跡
たておかじようあと

[現在地名]村山市楯岡 楯岡

楯岡集落北東部の独立丘陵たて(二〇九・八メートル)にある連郭式の中世山城。舞鶴まいづる城ともよばれた。古代以来の交通の要地で、西と南一帯に条里遺構も確認されている。現在畑となっている中心部は、尾根続きが空堀によって断たれ、南側に腰郭的な平坦地が多く認められる。宝暦一〇年(一七六〇)の楯岡村明細帳(秋元文書)に「古城跡東西立五百間、南北横三百弐拾間、惣廻り千六拾間、高さ百弐拾間余、反別一町四反四畝余」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ローマ法王ともいう。ラテン語 Papaの称号はカトリック教会首長としてのローマ司教 (教皇) 以外の司教らにも適用されていたが,1073年以後教皇専用となった。使徒ペテロの後継者としてキリスト自身の定...

教皇の用語解説を読む