楯岡城跡(読み)たておかじようあと

日本歴史地名大系 「楯岡城跡」の解説

楯岡城跡
たておかじようあと

[現在地名]村山市楯岡 楯岡

楯岡集落北東部の独立丘陵たて(二〇九・八メートル)にある連郭式の中世山城。舞鶴まいづる城ともよばれた。古代以来の交通の要地で、西と南一帯に条里遺構も確認されている。現在畑となっている中心部は、尾根続きが空堀によって断たれ、南側に腰郭的な平坦地が多く認められる。宝暦一〇年(一七六〇)の楯岡村明細帳(秋元文書)に「古城跡東西立五百間、南北横三百弐拾間、惣廻り千六拾間、高さ百弐拾間余、反別一町四反四畝余」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

政府首脳が外国を訪問した際の会談内容や合意事項を記した外交文書。法的拘束力は持たないが,その内容は両国を事実上拘束する。類似のものに共同発表 joint statementがあるが,これはより記録的な...

共同声明の用語解説を読む