榎撫駅(読み)えなつのえき

日本歴史地名大系 「榎撫駅」の解説

榎撫駅
えなつのえき

延喜式」東海道伊勢国駅馬として「鈴鹿廿疋、河曲・朝明・榎撫各十疋」、伝馬として「朝明・河曲・鈴鹿郡各五疋」とある。伊勢国桑名郡より尾張国への渡し口で、現多度たど町の戸津とうづ香取かとり付近にあったと考えられる。

「日本後紀」延暦二四年(八〇五)一一月七日条に「先是伊豆国掾正六位山田宿禰豊浜奉使入京 至伊勢国榎撫朝明二駅間 就村求湯(下略)」とあり、すでに駅の存在していたことがわかる。「延喜式」には榎撫駅に伝馬を置く規定はみえないが、「日本後紀」弘仁三年(八一二)五月八日条に「伊勢国言、伝馬之設 唯送新任之司 自外無所乗用、今自桑名郡榎撫駅達尾張国 既是水路、而徒置伝馬 久成民労、伏請一従停止永息煩労、許之」とあり、尾張への水路に伝馬は無駄で、民の労をも省く意味で廃止を国司が訴えていることから、実際置かれていたことがわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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