日本歴史地名大系 「横渚村」の解説 横渚村よこすかむら 千葉県:鴨川市横渚村[現在地名]鴨川市横渚・前原(まえばら)加茂(かも)川と待崎(まつさき)川の間に位置し、東は太平洋に面する。横須加村とも記された(元禄郷帳)。南は磯(いそ)村・貝渚(かいすか)村、西は滑谷(ぬかりや)村・八色(やいろ)村、北は広場(ひろば)村。伊南房州通(いなんぼうしゆうどおり)往還が村内を通り、長狭(ながさ)道が分岐する。往還沿いに前原町が形成されていた。慶長二年(一五九七)の安房国検地高目録に村名がみえ、高七二七石余(うち田方四二九石余)で、里見氏給人領。寛永一〇年(一六三三)旗本植村領となるが、同一七年幕府領となり、同一九年に旗本北条領となる。享保六年(一七二一)北条氏は嗣子がなく上知。宝暦四年(一七五四)勝浦藩領になるが、同六年同藩主大岡氏の武蔵国岩槻への転封により岩槻藩領となり、幕末を迎える(以上「寛政重修諸家譜」・正保郷帳・元文村高帳、宝暦二年「勝浦藩申渡定書」貝渚区有文書、宝暦一〇年岩槻藩領知目録写、旧高旧領取調帳など)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報