日本歴史地名大系 「樫野浦」の解説 樫野浦かしのうら 和歌山県:西牟婁郡串本町樫野浦[現在地名]串本町樫野大島(おおしま)浦の東、大島の東端海食台地上にある半農半漁村。南西は須江(すえ)浦。村名は「続風土記」に「土地の字に大樫野といふ所あり、古は大樫ありしより此名ありて今はその大を略して村名とせし」と記される。集落は古く小字地下田(じげた)にあり、現在地への移住は天保年間(一八三〇―四四)以前といわれる。慶長検地高目録には樫野村と記され、高六〇石余。「続風土記」によると家数三八、人数一六九。古座組に属した。「南紀徳川史」によれば当浦は須江の付浦で、「漁方釣等無之、敷網少々有之」と記される。御領分加子米高帳(田中家蔵)では加子米高は六石。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by