日本歴史地名大系 「串本町」の解説 串本町くしもとちよう 和歌山県:西牟婁郡串本町面積:九一・四〇平方キロ紀伊半島の最南端に位置し、北西はすさみ町、北東は東牟婁郡古座(こざ)町、北は同郡古座川(こざがわ)町に接する。町域全体に北から低い山並が海岸まで迫り、南東に大(おお)島がある。集落は海岸沿いのわずかな台地・平地、小河川の河口に散在し、とくに潮岬(しおのみさき)台地(半島)の地頸部に発達した市街地が町の中心部。海岸線は東西二五キロに及び、一帯にみられるリアス海岸は美しい景観をつくり、潮岬を中心に東部の海岸は吉野熊野国立公園に、西部の海岸は熊野枯木灘(くまのかれきなだ)海岸県立自然公園になっている。 串本町くしもとちよう 2005年4月1日:西牟婁郡串本町、東牟婁郡古座町が合併⇒【串本町】和歌山県:西牟婁郡⇒【古座町】和歌山県:東牟婁郡 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「串本町」の意味・わかりやすい解説 串本〔町〕くしもと 和歌山県最南端の町。1897年町制。1955年潮岬村,有田村,田並村,和深村の 4村と合体。1958年大島村を編入。2005年古座町と合体。長さ約 900mの砂州で,紀伊半島と結ばれた陸繋島である隆起海食台地の潮岬が太平洋に突出。中心集落の串本は砂州上に位置し,東方約 2kmに,くしもと大橋で連絡する大島がある。串本港は古くから熊野灘捕鯨の根拠地の一つで,第2次世界大戦前はオーストラリア方面のアラフラ海でのシロチョウガイ採取にもここから出漁した。近年はカツオ,マグロの遠洋漁業基地,避難港として重要。養殖漁業,水産加工も行なわれる。潮岬,大島,九竜島,橋杭岩(国の名勝・天然記念物)を中心とする海岸一帯は吉野熊野国立公園に指定され,複数の海域公園地区もある。また,サンゴ群落が広がる錆浦海岸,潮岬西岸,通夜島北岸の 3区域は「串本沿岸海域」としてラムサール条約に登録されている。串本に円山応挙,長沢蘆雪の墨画で有名な無量寺,大島に 1890年のトルコ軍艦の遭難慰霊碑とその資料館,京都大学紀伊大島実験所などがある。国の重要無形民俗文化財の河内神社の例祭,河内祭(御舟祭)の御舟行事や民謡串本節も有名。JR紀勢本線,国道42号線,371号線が通じる。面積 135.67km2(境界未定)。人口 1万4959(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報