次屋村
つぎやむら
[現在地名]尼崎市次屋一―四丁目・下坂部三丁目・浜三丁目・潮江二丁目・西川二丁目
下坂部村の南東に位置する。天文五年(一五三六)三月二六日、摂津中嶋(現大阪市淀川区)の一向一揆衆が尼崎方面の細川晴元方の軍勢を破り、「次屋の城」に籠城していた晴元方伊丹衆は城を明渡した(細川両家記)。慶長国絵図に村名がみえ高六一五石余。元和元年(一六一五)池田重利領、同三年尼崎藩領となる。寛永二〇年(一六四三)青山氏のとき分知により旗本青山幸通領となり明治に至る。
次屋村
つぎやむら
[現在地名]新津市次屋
早出川左岸の自然堤防上に位置し、北は下新村、東は羽下村(現五泉市)。村上藩主堀直寄の時代の開発で、元和七年(一六二一)次助興野と名付けられたが、寛文八年(一六六八)に次屋村と改称という(権平家文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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