歓楽寺石塔群(読み)かんらくじせきとうぐん

日本歴史地名大系 「歓楽寺石塔群」の解説

歓楽寺石塔群
かんらくじせきとうぐん

[現在地名]日南市隈谷丙

隈谷丙くまやへい鶴田つるたにあり、石塔群南方の山には中世の新城跡がある。歓楽寺については史料がなく、文久二年(一八六二)平部南が当石塔群を探訪したとき、土地の人々が「かんらく」とよんでいたところから南が歓楽という字を当て、以後歓楽寺石塔群とよばれるようになった(六鄰荘日誌)。約一八〇基の石塔が残り、多くは無銘である。ただし紀年のあるものでは正和四年(一三一五)二月日の板碑(約一一〇センチ)が最も古く、ほかに嘉暦三年(一三二八)八月一二日の比丘尼連性の五輪塔(約一三二センチ)、元徳二年(一三三〇)一一月一四日の勝犬鶴丸の五輪塔(約九〇センチ)、正慶二年(一三三三)二月一一日の阿闍梨成俊の板碑(上下半分ずつに折れ、残部上部は約八七センチ、下部約六八センチ)などが残る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

新暦の 4月後半から 5月の,梅雨前に日本列島が大きな移動性高気圧に覆われたときの晴天。発現期間は短い。もともとは旧暦 5月が梅雨にあたることから,梅雨の晴れ間の意味で,梅雨晴れ(つゆばれ)とも呼ばれ...

五月晴れの用語解説を読む