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板碑 いたび

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

板碑
いたび

板石塔婆,青石塔婆ともいう。主として供養追善のために,種子 (しゅじ) あるいは仏,菩薩の像,供養者,造立年月日,趣旨などを表面に刻した板状石碑。多くは高さ 1m内外,上頂部を三角に加工し,その下に2条の溝を入れている。その祖型修験道の碑伝 (ひで) ,あるいは五輪卒塔婆に求められている。ほぼ 13世紀前半から 16世紀末にわたって製作され,全国に分布しているが,関東地方に特に多い。

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デジタル大辞泉の解説

いた‐び【板碑】

鎌倉時代から江戸初期にかけて盛んに行われた、死者追善供養のために建てた平たい石の卒塔婆(そとば)。最上部を三角形に作り、その下に深彫りの横線を入れ、仏像梵字(ぼんじ)、年月日・名前などを刻む。関東に多く、秩父青石で作ったものを青石塔婆という。

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百科事典マイペディアの解説

板碑【いたび】

鎌倉時代以後,慶長(1596年―1615年)ころまで,追善供養,逆修(ぎゃくしゅ)供養などのため特に関東地方で盛んにつくられた石造塔婆(とうば)の一種。板石(いたいし)塔婆ともいう。
→関連項目奥山荘庚申信仰

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世界大百科事典 第2版の解説

いたび【板碑】

中世の石塔の一種。板石塔婆ともいう。埼玉県大里郡江南町にある嘉禄3年(1227)のものが初見で,南北朝室町時代に盛んに作られ,17世紀初頭に姿を消す。関東地方のものがもっともよく知られ,また数も多いが,北海道から薩南諸島まで,全国に分布し,地域によって特色のある板碑が造立されている。関東地方のものは,現在までに約3万基が知られ,秩父産の青石(緑泥片岩)で作られ,薄く板状にはがれやすく加工もしやすい,という石材の特色を生かし,頭部を三角形とし,2本の溝状の線を刻み,梵字や画像で主尊の仏を表現するなど,形態的にすぐれ色も美しいものが多く,そのため,江戸時代から文人などに好まれてきた。

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大辞林 第三版の解説

いたび【板碑】

死者の供養のための石造りの卒塔婆そとば。主に緑泥片岩の平たい石でつくる。上部は三角形。仏像・梵字・年月・氏名などを刻む。鎌倉・室町時代にかけて盛んにつくられ、東北・関東地方に多い。秩父青石でつくったものを青石塔婆という。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

板碑
いたび

中世につくられた石塔の一種で板石塔婆(いたいしとうば)ともいう。埼玉県熊谷(くまがや)市須賀広(すがひろ)にある、嘉禄(かろく)3年(1227)銘のものが初見で、南北朝・室町時代にもっとも盛んとなり、17世紀には姿を消す。九州・四国から東北・北海道に至る全国各地に分布するが、関東地方の、秩父(ちちぶ)産の青石(緑泥片岩(りょくでいへんがん))でつくられたものが数も多く、よく知られている。青石は板状にはがれやすく加工もしやすいことから、厚さの薄い石碑状の石に細かな彫刻が施されるなど芸術的にも優れた形のものが多い。板碑という名称は、この石碑状の形から近世末に生じたものであるが、板碑は碑ではなく、両親など亡者の追善供養(くよう)や生きている者の逆修(ぎゃくしゅ)供養のためにつくられた供養塔であり、板碑のつくられた時代には、特別な名称はなく、石塔、卒塔婆(そとば)、浮図(ふと)などと供養塔を意味する名称でよばれていた。また刻まれている銘文も、その亡者などの名や造立趣旨と、経典の一句である偈(げ)と、紀年銘などで、記念碑的な意味の銘は刻まれていない。
 板碑の形態は、頭部を三角形にし、2条の溝が刻まれ、梵字(ぼんじ)(種子(しゅじ))や画像で主尊とする仏(阿弥陀(あみだ)、大日(だいにち)、釈迦(しゃか)、地蔵(じぞう)、観音(かんのん)など)を表現し、その下に銘文が刻まれているのが一般で、この形態の起源については諸説があるが、五輪塔の形態が転化したものとする説が現在もっとも有力である。石材は青石のほか、地方によって安山岩、花崗(かこう)岩、凝灰岩などが用いられるが、材質のつごうで厚手もしくは柱状になったものもある。
 板碑に込められた信仰は、偈の出典の経典や主尊から知ることができ、関東地方のものは8割まで密教的浄土信仰に基づくとされるが、宗派まで確定することは一般的にはできない。ただ例外的に、鎌倉時代末期以降に多くなる「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と名号を刻む時宗(じしゅう)系と、「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」と題目を刻む日蓮(にちれん)宗系とは宗派を知ることができる。
 板碑の造立者は、鎌倉時代には武蔵(むさし)七党などとよばれるような在地領主層がほとんどであるが、15世紀後半以降、とくに関東地方では、月待(つきまち)や庚申待(こうしんまち)などの民俗行事に伴って農民たちが一結衆を構成して供養塔を造立する例が多くなる。これらの板碑は、その交名(きょうみょう)を分析することによって、東国の中世村落のようすを知ることができる重要な史料である。
 板碑は17世紀初頭につくられなくなる。その理由としてさまざまな解釈がなされ、徳川家康の江戸入部に伴う禁止などを指摘する俗説もあるが、そうした政治的理由よりも、位牌(いはい)や石碑墓の普及に象徴されるような、家・村落や仏教の変化など社会的諸条件の変化に伴うものと考えるべきであろう。[千々和到]

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世界大百科事典内の板碑の言及

【塔】より

五輪塔(図4)は方形の地輪,球形の水輪,宝形造の火輪,半球形の風輪,宝珠形の空輪からなるもので,平安時代から現れ,各輪四方に梵字を彫ったものが多く,最も多くつくられた石塔である。また板碑(いたび)は五重塔の簡略化されたものともみられよう。笠塔婆(図5)は,柱状の塔身に笠石を冠したものをいい,鎌倉時代から遺品がある。…

※「板碑」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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