正保庄内絵図(読み)しようほしようないえず

日本歴史地名大系 「正保庄内絵図」の解説

正保庄内絵図
しようほしようないえず

一二一八×四五八センチ

成立 正保二年頃

原図 致道博物館

写図 本間美術館

解説 正保初年幕府が国絵図の提出を命じたとき庄内藩で作製した庄内最古の領内絵図。標題はない。村名と村高、街道一里塚、里道、村の間の里程、舟渡、山中難所山名、村持山と樹種、主要な社寺城跡、港と海上の里程など詳細に記す。とくに山や海などは絵画的に極彩色で描かれ、藩の絵師の手になると推察される。正保二年の庄内村々高辻(酒井家文書)と一対をなし、出羽一国御絵図作製のもとになった絵図と考えられる。本書本文中では本間美術館蔵の写図を用い、同図は「山形県史」資料篇一七所収

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む