日本歴史地名大系 「武光名」の解説 武光名たけみつみよう 鹿児島県:川内市武光名現高城(たき)町・城上(じようかみ)町、田海(とうみ)町の今村(いまむら)辺りに比定される。薩摩国建久図田帳には高城郡公領一四二町のうちに武光三三町五反があり、名主は在庁師高。師高は本姓伴氏、薩摩国衙の権掾で、同図田帳によれば武光名のほかに吉枝(よしえだ)名・万得(まんとく)名の名主でもあった。武光は伴氏の仮名で、その子孫はのち武光氏を称した。応安元年(一三六八)一一月三日の武光心呈譲状(入来院文書)によれば、師高の子孫にあたる心呈(重兼)からその子兼氏に譲与された所領のなかに宮里(みやざと)郷床並(とこなみ)田地薗惣領職があり、「今者号武光名、元権次郎名」と注記される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by