武市半平太(読み)たけちはんぺいた

共同通信ニュース用語解説 「武市半平太」の解説

武市半平太

武市半平太たけち・はんぺいた 幕末土佐藩士。文久元(1861)年、藩論勤王に統一する「一藩勤王」を掲げ、土佐勤王党結成坂本龍馬中岡慎太郎など190人余りが参加し、土佐藩政に大きな影響を与えた。しかし文久3年、当時は公武合体派だった薩摩藩などが京都から攘夷じょうい派を一掃する「八月十八日の政変」を起こし、情勢一変。同年9月、土佐で投獄され、約1年8カ月後に切腹を命じられた。

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百科事典マイペディア 「武市半平太」の意味・わかりやすい解説

武市半平太【たけちはんぺいた】

武市瑞山

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「武市半平太」の意味・わかりやすい解説

武市半平太
たけちはんぺいた

武市瑞山」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の武市半平太の言及

【武市瑞山】より

…幕末の尊攘派志士。通称は半平太,名は小楯。瑞山は号。土佐国長岡郡仁井田郷吹井村の郷士武市半右衛門正恒の長男。若いころから剣で知られたが,1861年(文久1)の江戸遊学中交流した久坂玄瑞らと率兵上京を計画し,土佐勤王党を結成した。帰国後,全藩にまたがる草莽尊攘派を糾合し,当時藩政を主導していた開明的な吉田東洋を暗殺させ,土佐藩政に影響力をもつようになった。その後,京都でも尊攘運動を指導したが,文久3年8月18日の政変後捕らえられ,勤王党弾圧の下で切腹を命ぜられた。…

※「武市半平太」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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