幕末の討幕派志士。土佐国安芸(あき)郡北川郷(高知県北川村)の大庄屋(おおじょうや)小伝次(こでんじ)の長男。名は道正、初め光次と称し、のち慎太郎と改めた。学問を間崎滄浪(まさきそうろう)に、剣を武市瑞山(たけちずいざん)に学び、国事に目覚める。1857年(安政4)大庄屋見習となり父を助ける。1861年(文久1)武市瑞山らが土佐勤王党を結成するやただちに加盟、翌年には同志50人と京都、江戸に出て尊攘(そんじょう)運動に参加、1863年帰郷。同年八月十八日の政変後、藩の勤王党弾圧が激化したため脱藩して周防(すおう)三田尻(みたじり)に赴き、以後長州藩をバックに活動。1864年(元治1)の蛤御門(はまぐりごもん)の変では忠勇隊とともに戦い、負傷して長州に退く。のち三条実美(さんじょうさねとみ)の周辺にあって、薩長(さっちょう)同盟を画策し、1866年(慶応2)に坂本龍馬(さかもとりょうま)の協力でこれに成功。翌1867年、土佐藩より脱藩を赦(ゆる)され、薩摩(さつま)の西郷隆盛(さいごうたかもり)らとの間に薩土討幕の密約を結ぶ。土佐藩の遊軍として龍馬は海援隊、慎太郎は在京の浪士を集めて7月京都に陸援隊を組織し、武力討幕の一翼とした。幕府大政奉還後の同年11月15日夜、京都河原町の下宿近江屋(おうみや)に龍馬を訪れて会談中、幕府見廻組(みまわりぐみ)に襲われてともに斬(き)られ、17日絶命。
[関田英里]
『平尾道雄著『陸援隊始末記』(中公文庫)』
(井上勲)
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幕末の尊攘派志士。道正と名のり,大山彦太郎,石川清之助などの変名をもつ。土佐国安芸郡北川郷大庄屋の中岡小伝次の長男。1857年(安政4)より大庄屋見習として村政にかかわるが,間崎滄浪から文を,武市瑞山から剣を学んだことから,61年(文久1)土佐勤王党結成に参加し,瑞山の〈正系〉を継承すると評価される。勤王党弾圧後は脱藩して長州に走った。しかし長州尊攘派の敗北と再起を目のあたりにして単純な尊攘主義を克服し,富国強兵と武力討幕のための薩長同盟を構想して,坂本竜馬とともに奔走した。67年(慶応3)脱藩の罪が許され,京都で陸援隊を組織して藩に協力するようになったが,藩の大政奉還の方針をのりこえて武力討幕の方針を固め,薩長両藩の討幕路線に同調する方向を土佐藩に求めるが,同年11月15日京都三条で坂本竜馬とともに暗殺された。
執筆者:池田 敬正
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1838.4.-~67.11.17
幕末期の志士。土佐国の大庄屋の長男。20歳の頃高知に,さらに江戸に遊学。藩命により水戸・松代を歴遊し,1861年(文久元)藩主山内豊信(とよしげ)に随伴して帰国し,土佐勤王党に加入した。62年上洛し尊攘運動を展開。京都での尊攘運動弾圧時には脱藩して三条実美(さねとみ)ら尊攘派公卿に従って長州に入り,長州の尊攘派を指導した。坂本竜馬の海援隊に対し,京都で陸援隊を組織する。政局の推移のなかで,薩長連合の必要を痛感し,竜馬とともに実現させた。武力倒幕をめざしたが,67年(慶応3)竜馬とともに京都近江屋で見廻組に襲われ,死亡。
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…1867年(慶応3)京都で土佐藩の中岡慎太郎によって編成された討幕組織。中岡慎太郎が坂本竜馬とともに脱藩の罪を許されたのは67年2月で,土佐藩は4月に竜馬を海援隊長に任ずるとともに,慎太郎を陸援隊長とし在京官に属せしめるとした。…
※「中岡慎太郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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