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切腹 せっぷく

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

切腹
せっぷく

はらきり,割腹ともいう。「士」以上の身分の者に科せられた死刑,または自殺の一方法 (りょう) の刑罰の一つに「自尽」と呼ばれるものがあり,平安時代末期から室町時代にいたる間に,「自尽」の方法として「切腹」が行われるようになり,江戸時代にいたってその形式が確立した。江戸時代,武士の死刑にはほかに「斬」があったが,切腹は斬首のはずかしめから救うために行われた。獄舎または預り大名屋敷の庭に畳2枚を敷いて本人をすわらせ,本人が三方に載せた木刀に手を掛けたとき背後の正介錯人が首を切り,副介錯人が首を取って検使に見せて執行を終えるというものであった。維新後は,明治3 (1870) 年の『新律綱領』に,士族に対して「自裁」という切腹刑が定められたが,1873年廃止。

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デジタル大辞泉の解説

せっ‐ぷく【切腹】

[名](スル)
自分で腹を切って死ぬこと。平安時代以降、中世・近世を通じて武士の自決法として行われた。はらきり。割腹。
江戸時代、武士に科した死罪の一。検死役の前で、自ら腹を切ろうとするところを介錯人(かいしゃくにん)が首を斬り落としたもの。
[補説]作品名別項。→切腹

せっぷく【切腹】[映画]

小林正樹監督による映画の題名。昭和37年(1962)公開。原作は滝口康彦の小説「異聞浪人記」。音楽は武満徹。出演、仲代達矢岩下志麻、石浜朗ほか。カンヌ国際映画祭審査員賞、第17回毎日映画コンクール日本映画大賞受賞。

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百科事典マイペディアの解説

切腹【せっぷく】

刀で腹を切って死ぬことで,割腹(かっぷく),屠腹(とふく),腹切(はらきり)とも。武士の間で行われた自尽の方法で,源平の争乱のころから一般化。中世末から刑罰として用いられ,江戸時代の刑罰としては,検断立会いの下に介錯人(かいしゃくにん)が首を打った。
→関連項目改易

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デジタル大辞泉プラスの解説

切腹

1962年公開の日本映画。英題《Harakiri》。監督:小林正樹、原作:滝口康彦、脚色:橋本忍、撮影:宮島義勇、音楽:武満徹、美術:大角純一、戸田重昌、録音:西崎英雄。出演:仲代達矢、岩下志麻、石浜朗、稲葉義男三國連太郎三島雅夫、丹波哲郎ほか。カンヌ国際映画祭審査員賞受賞。第17回毎日映画コンクール日本映画大賞、音楽賞、美術賞、録音賞受賞。第13回ブルーリボン賞脚本賞、主演男優賞(仲代達矢)受賞。

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世界大百科事典 第2版の解説

せっぷく【切腹】

刀で腹を切って死ぬことで,自殺または死刑の方法として用いられた。割腹(かつぷく),屠腹(とふく),腹切(はらきり)ともいい,日本の習俗として外国人にも〈はらきり〉の名で知られている。 自殺の方法としては平安時代に始まり,源平争乱のころから一般化し,武士(男子)はもっぱらこれによるべきものとされ,中世,近世を通じてひろく行われた。短刀を腹の左に突き立て,右に回して引き抜き,つぎに胸の下に突っ込み,下へ押し下げて十文字に切り,さらにのどを突くのが正式であった。

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大辞林 第三版の解説

せっぷく【切腹】

( 名 ) スル
自分で腹を切って死ぬこと。平安末期以降、武士の自決法とされた。はらきり。割腹。屠腹とふく
江戸時代、武士に科した死罪の一。武士の名誉を重んじた死罪で、切腹は形だけで実際は背後から介錯かいしやく人が首をはねた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

切腹
せっぷく

短刀で腹を切って死ぬ自決の一方法で、割腹(かっぷく)、屠腹(とふく)ともいわれ、外国にも「ハラキリ」として知られる日本独特の習俗。平安時代に始まるとされ、武士道が発達した鎌倉時代にかけて定着し、中世、近世を通じて行われた。人間の魂は腹に宿るという考えから、勇敢に腹を切ることは、武士道を貫くうえで最適な行為となった。動機は、主君に殉ずる追腹(おいばら)、職責や義理上の詰腹(つめばら)、捕虜の恥辱を逃れるための切腹、また無念のあまり切腹する無念腹などがある。切り方は、腹一文字にかき切る一文字腹、さらに縦にみぞおちから臍(へそ)の下まで切り下げる十文字腹が勇壮でよいとされたが、体力的にそこまでは不可能で、なお喉(のど)を突いて絶命に導いたようである。江戸期に入ると、動機の純粋さも失われていき、方法も形式化した。つまり、武士の切腹にあたり、付き添って首を斬(き)り落とす介錯(かいしゃく)の作法である。それも、しだいに、腹を切る寸前に介錯人が背後から首を斬ることが多くなった。
 介錯は3人で勤めた。3人の介錯というのは、介錯(大介錯ともいう)、添(そえ)介錯(助(すけ)介錯ともいう)、小介錯の三役で、介錯は首を討つ役、添介錯は短刀ののった三方を持ち出す役、小介錯は首を実検に入れる役である。また、首を斬るのに「三つの規矩(きく)」と「四つの間(ま)」という心得があった。「三つの規矩」の一つは短刀をいただくとき、二つは左の腹を見るとき、三つは腹へ短刀を突き立てるとき、「四つの間」の一つは三方を据えて退くとき、二つは三方を引き寄せるとき、三つは刀を把(と)るとき、四つは腹へ突き立てるときで、これらが早すぎても遅すぎてもいけないとされた。しかし、三方にのっているのは短刀でなく、扇子である場合もあり、これを扇腹(おうぎばら)とよんだ。
 切腹は自決のほかに、中世から処刑の方法としても採用された。上級武士に対する名誉刑として、自分の不始末を自力で処理するという思想から切腹を賜ったのである。上士の犯罪者の場合は、預けられた大名などの屋敷内で、中士の切腹は牢屋(ろうや)内で行われた。この刑罰としての切腹は1873年(明治6)に廃止された。自殺の方法としては明治時代以降もたまにみられ、1945年(昭和20)8月25日、早暁(そうぎょう)、東京都内旧代々木(よよぎ)練兵場の一角で「大東塾(だいとうじゅく)十四士」が古式にのっとった集団割腹自決を行った。また近年では作家三島由紀夫の切腹(1970)の例がある。[古川哲史・稲垣史生]

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世界大百科事典内の切腹の言及

【刑場】より

…かたわらの御様場(おためしば)においては,死罪人の死体を用い様斬(ためしぎり)を行った。なお武士の閏刑(じゆんけい)である切腹の場所は,牢屋敷内揚座敷(あがりざしき)前庭のほか,時宜によって当人預け先の屋敷内があてられた。牢屋外の刑場として,江戸では千住小塚原(こづかつぱら)と品川鈴ヶ森に常設のものがあり,これを〈両御仕置場〉と称した。…

【刑罰】より

…【小林 宏】
[日本中世]
 律令法で刑罰の適用に大きな意味をもったのは犯罪者の官位の有無であったが,中世の武家法では身分が重視され,謀書(文書偽造)の罪について,侍は所領没収,凡下(ぼんげ)は火印,また人を殴る罪について,侍は所領没収,郎従以下は召禁(禁錮),また密懐(姦通)の罪について,侍は所領半分没収,名主,百姓は過料(以上,《御成敗式目》および追加法)などと定められた。また,窃盗の罪について,凡下は1回目は火印,3回累(かさ)ねれば死罪とするが,侍は1回でも遠流(おんる)としたごとく,犯罪の性質によっては侍が重刑を科せられたことや,遅くも15世紀には,侍身分に死罪の栄誉刑として切腹が認められたことなど,いずれも侍身分重視の証左である。 中世の刑罰の態様を見ると,その特徴は大よそ以下の3点にまとめることができる。…

【腹】より

… 腹や腹部臓器に心や魂が宿るとする見方は日本にも古くからあり,今も〈腹をさぐる〉〈腹を割った話〉〈腹に一物〉その他の用法に表現されている。切腹はハラキリharakiriとして欧米にも知られるが,自殺手段というよりは多くの場合自己の潔白あるいは赤心の表明形式(新渡戸稲造《武士道》1899)で,内臓を露出して真心を見せるとの思い入れが強い。腹部臓器を貫いて脊柱のすぐ前を縦走する腹部の大動脈や下大静脈などを切断しなければ,切腹しても直ちに死に至ることはない。…

※「切腹」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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