武田城跡(読み)たけだじようあと

日本歴史地名大系 「武田城跡」の解説

武田城跡
たけだじようあと

[現在地名]北浦村両宿

両宿(りようしゆく)の西北部、字神明(しんめい)にあり、神明城ともよばれる。戦国期に甲斐武田氏の一族武田信久が当地に移りその支配地を武田郷と称して居所としたが(常陸名族志)、城はその子孫民部大輔通信が築城と伝える(新編常陸国誌)。通信は天文三年(一五三四)内宿(うちじゆく)に木前(きさき)(崎)砦を築き、同九年には鹿島治時を鉾田(ほこた)(現鹿島郡鉾田町)に破り、元亀二年(一五七一)に講和した。その子淡路守信房は天正二年(一五七四)鹿島義清と鉾田に会盟し、両氏の係争地を分割させて和睦。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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