日本歴史地名大系 「行方郡」の解説
行方郡
なめかたぐん
- 福島県:陸奥国
- 行方郡
〔古代〕
「和名抄」は「奈女加多」と訓を付す。「国造本紀」に行方国造はなく、浮田国造がみえ、のちの宇多郡・行方郡の領域を支配したと思われる。養老二年(七一八)五月二日陸奥国の」とあり、行方軍団の軍毅上毛野朝臣の存在が知られ、下毛野朝臣と並んで上毛野朝臣も当郡に居住している。「類聚三代格」弘仁六年(八一五)八月二三日に「行方団一千人」を新設したとある。宝亀一一年に存在した行方軍団が三五年後に新設されるのは、一時中断していたのであろう。「三代実録」貞観八年(八六六)正月二〇日条に、常陸国鹿島神宮の陸奥国内の苗裔神三八社のうち一社が当郡にあると記され、現鹿島町の
行方郡
なめがたぐん
県南東部にあり、霞ヶ浦・北浦の間に突出した半島状の郡。北は東茨城郡・鹿島郡に接し、南は北利根川を隔てて千葉県
行方郡の建郡は「常陸国風土記」に「
〔原始〕
縄文時代の遺跡は早期から晩期まで六〇余ヵ所あり、北利根川支谷に臨む台地上にある潮来町の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報