日本歴史地名大系 「北浦村」の解説
北浦村
きたうらむら
村は四つの山体からなり、中央がY字形の低地で、現在は水田化されているが古くは海であったと思われ、
永享七年(一四三五)の北浦八幡棟札写に「神主北浦村馬越十郎大夫」とみえる。慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の越智郡の項に「北浦村 日損所、野山有、林有」とみえ、村高は一六九石四斗二升三合である。寛永一三年(一六三六)の北浦村検地帳では田二三町七反、畠一四町、山畑二町九反で、伯方島では水田の割合が最も高い。
当村にも「北浦の七軒株」という村上水軍の帰農伝承が残る。
北浦村
きたうらむら
- 秋田県:男鹿市
- 北浦村
男鹿半島の北部、
天正一九年(一五九一)の出羽国秋田郡知行目録写(秋田家文書)に「北のうら村 たる沢村 さんから田村」合わせて六三一石五斗五合とある。正保四年(一六四七)の出羽一国絵図に北浦村四九二石と記される。享保一四年(一七二九)の黒印高帳(秋田県庁蔵)では本田当高四五〇石余、本田並・新田合わせて四九〇石一斗一升二合である。
北浦村
きたうらむら
北浦村
きたうらむら
文化年間の「岡山藩領手鑑」によると高二〇二石余、直高三五〇石余で蔵入、池五、池樋四、井戸七六、石橋二〇、家数二八一・人数一千三三三、寺一(本覚院)・在家一、牛四、紺屋一軒(藍瓶二本)、桶屋八・船大工四、医者・家大工各二、畳屋一、船一三八艘(二反―一二反帆)。
北浦村
きたうらむら
北浦村
きたうらむら
北浦村
きたうらむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報