北浦村(読み)きたうらむら

日本歴史地名大系 「北浦村」の解説

北浦村
きたうらむら

[現在地名]伯方町北浦

伯方はかた島東北部にある。東は岩城いわぎ島に対し、北は芸州豊田郡生口いくち島に相対する。村の南および西は有津あろうづ叶浦かのうら伊方いかた三村に接する。

村は四つの山体からなり、中央がY字形の低地で、現在は水田化されているが古くは海であったと思われ、乗越のりこえ船越ふなこし古江ふるえ乗留のつとめ打越うちごしなどの字がある。

永享七年(一四三五)の北浦八幡棟札写に「神主北浦村馬越十郎大夫」とみえる。慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)越智郡の項に「北浦村 日損所、野山有、林有」とみえ、村高は一六九石四斗二升三合である。寛永一三年(一六三六)の北浦村検地帳では田二三町七反、畠一四町、山畑二町九反で、伯方島では水田の割合が最も高い。

当村にも「北浦の七軒株」という村上水軍の帰農伝承が残る。


北浦村
きたうらむら

[現在地名]男鹿市北浦北浦

男鹿半島の北部、賀茂かも川の河岸段丘上および海岸段丘上に位置する。北西の八斗はつと崎が北西からの風波を防ぐ自然の良港。西方の村、水口みずくち(現西水口)に至る広い海岸段丘上に耕地が開ける。

日吉ひえ神社(現北浦神社)に康永年間(一三四二―四五)の棟札があったと伝えられ、「嶋郡地頭 安部兼季」の銘が人見蕉雨によって写し伝えられている(夏ノ木草)

天正一九年(一五九一)の出羽国秋田郡知行目録写(秋田家文書)に「北のうら村 たる沢村 さんから田村」合わせて六三一石五斗五合とある。正保四年(一六四七)の出羽一国絵図に北浦村四九二石と記される。享保一四年(一七二九)の黒印高帳(秋田県庁蔵)では本田当高四五〇石余、本田並・新田合わせて四九〇石一斗一升二合である。


北浦村
きたうらむら

[現在地名]小牛田町北浦

江合えあい鳴瀬なるせ両川の間に位置する大村。北西部は江合川の南に沿う沖積地で、南東部は鳴瀬川北方の蜂谷森はちやもりを最高所とする丘陵地帯に及ぶ。村の南縁から東縁にかけて遠田郡南部の用水として重要な出来でき川が流れる。「安永風土記」によると縦四〇町四〇間・横一里六町四間と東西に広く、西部に端郷二又ふたまたがあり別に肝入が置かれた。東は牛飼うしかい不動堂ふどうどう両村、南は志田郡青生あおう村、西は関根せきね村、北は江合川を隔てて平針ひらばり村。志田郡松山まつやま(現松山町)中埣なかぞねを結ぶ道と、小牛田宿方面への道が通る。


北浦村
きたうらむら

[現在地名]岡山市北浦

飽浦あくら村の西、北は児島湾に面する。飽浦氏が拠った高山たかやま城の北にあたる港の意で北浦とよばれたという。港は東側の箱崎はこざきの尾根と西側の八幡やはた山に囲まれた入江の奥に位置する。元和三年(一六一七)児島郡物成帳では田方一一六石余・畑方一〇三石余・加子米三六石である。寛永備前国絵図では高二〇二石余。寛文八年(一六六八)村内に郡中手習所が置かれた(「郡中手習所并小子之記」池田家文庫)。「備陽記」には町並とあり、田畠一八町七反余、家数一九八・人数一千二二七、二端帆から一七端帆の船一八八艘を有する。

文化年間の「岡山藩領手鑑」によると高二〇二石余、直高三五〇石余で蔵入、池五、池樋四、井戸七六、石橋二〇、家数二八一・人数一千三三三、寺一(本覚院)・在家一、牛四、紺屋一軒(藍瓶二本)、桶屋八・船大工四、医者・家大工各二、畳屋一、船一三八艘(二反―一二反帆)


北浦村
きたうらむら

面積:五八・四九平方キロ

郡の北東部、北浦の西岸に位置し、東は北浦を隔てて鹿島郡大洋村、西は玉造たまつくり町、南は麻生あそう町、北は鹿島郡鉾田ほこた町に接する。村の中央部一帯は標高三〇メートル前後の洪積層台地で、その間を北浦に注ぐ山田やまだ川・武田たけだ川が東流し、両川沿いと北浦湖岸の低地は水田地帯を形成する。北浦沿岸を県道繁昌―牛堀線、中央台地上には南北に県道水戸―鉾田―佐原線、東西に県道山田―玉造線・土浦―大洋線が通る。

津澄つすみ地区の山田・繁昌はんじようは交通の分岐点で県道沿いに商店街を形成するが、他地区は水稲・野菜の栽培、牧畜業・内水面漁業中心の農漁村である。


北浦村
きたうらむら

[現在地名]小城町大字松尾まつお字北浦

小城町の北方、清水きよみず川が祇園ぎおん川に合流する東部一帯の集落である。千葉城の北麓にあたり、千葉氏の屋敷があった所とも伝える。

正和五年(一三一六)千葉胤貞が下総国より下向してきた時、守護神妙見みようけん社を当地に勧請したのが北浦妙見社である。妙見社の南隣に江戸初期設立の日蓮宗の延命えんめい寺・延福えんぷく寺がある。妙見社の社前では、犬追物が行われたと伝えられ、現在その一帯を犬の馬場と称す。

正保絵図に村名がみえる。藩政時代、小城郡北郷に属し、嘉永六年(一八五三)写の大小配分石高帳では、地米(年貢)一九四石二斗六升一合とある。


北浦村
きたうらむら

[現在地名]三田市北浦

東末ひがしすえ村の北に位置し、西端を青野あおの川が南流する。もと東末村のうちであったが、宝暦年間(一七五一―六四)他地方からの移住者が当地を開発し、村落を形成したという(有馬郡誌)。御領分御高付覚(九鬼家文書)によれば、寛政六年(一七九四)三田藩の許可を受け東末村から分離し、北浦村高一九七石余となったとされる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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